家族のリタラシー






母系の農村共同体が定着している社会では、しばしば「共同体」が過剰労働人口の吸収材として機能する。景気が悪くなると故郷に帰る一方、景気がよくなると、また都会に働きに出る。ここで注目すべきは、この「帰農」した人間は、田舎にいる間、必ずしも労働力とはなっていない点である。農繁期の手伝い程度には役に立っているだろうが、ひとり頭数が増えたからといって、それにしおうだけ、生産力がアップするワケではない。

このように農村共同体とは、基本的に「寄らば大樹の陰」の寄生を許すところに特徴がある。まさに、共同体の中では、構成員は個人としての責任を問われることはなく、「甘え・無責任」に浸ることができる。世界的に見て、農村共同体が強固な地域ほど、国家規模での「寄らば大樹の陰」である共産主義や、「なんでも皇帝の責任」に帰するコトができる独裁政権が生まれやすいという傾向も、この「甘え・無責任」指向から理解することができる。

すでに何度も論じてきたように、団塊世代の特徴は、人口の7割以上が農村部に住んでいた昭和20年代初頭に生まれ育つことにより、農村共同体的な価値観が強力に刷り込まれた人たちが、そのまま「集団就職」で都市部に移住しニュータウンに集住することで、農村共同体的マインドを温存したまま、一見核家族形の家庭を構築した点にある。したがって、団塊世代の家庭は、極めて母系制農村共同体的な色合いが強い点に特徴がある。

したがって、この世代家庭では、子供がいつまでたっても独立しない傾向が顕著に見られる。20代の女性が、同居している母親と共同行動を行う場面は非常に多い。女性の場合は、「一卵性母子」などと、比較的好意的に捉えられているのだが、これが男性だとパラサイト・シングルになり、一挙にイメージが悪くなる。しかし、構造は同じである。共同体的感覚に、まったりとつつまれた居心地のよさ。しかし、実はここに大きな問題がある。

昨今問題になっている、ニートや引きこもりは、団塊Jr.世代が就職年令に達するとともに、大きな社会問題としてクローズアップされるようになった。これなども、居心地のいいミニ母系制農村共同体として、団塊世代の家庭が機能しているからこそ起こる問題である。そこに居さえすれば、母親からいろいろ手厚くフォロー・サービスが受けられる。これでは、居座ってしまうのも当たり前ではないか。こう考えてゆくと、この問題の将来は、実はそれ程暗くないものであることがワカる。

現在のティーンエージャーを中心とする「新人類Jr.世代」は、意識や行動において上の世代である「団塊jr.世代」と共通する面も多いが、著しく異なる点もまた目立っている。各世代の世代的な特徴は、人格形成期の「刷り込み」の影響が強いが、社会や環境からの影響という面では、この両世代に共通するものがある一方、親や家庭からの影響という面では大きく異なっている。

それは、「新人類世代」の世代的特徴の影響ともいえる。新人類世代の親に当たる「新人類シニア世代」は、いわゆる昭和ヒトケタ世代であり、昭和20年代に都市部に移住し、戦後復興期の第一波を担った世代でもある。この結果、新人類世代は日本の歴史上初めて、都市部の人口が農村人口を上回った社会で生まれた最初の世代となった。戦後すぐの都市部は、まだ戦前の都市部の構造を色濃く残していた。

戦前の都市生活者は、官僚・高級軍人・ホワイトカラーといった中流層と、主として工場で働く下流の労働者層から構成されていた。後者が、江戸時代の町人の流れを汲む生活様式を持っていたのに対し、前者は、江戸時代の中流〜下級武士の生活様式を規範としていた。このため、家庭構造は、家長を中心とする「男系核家族」となっていた。これを引き継いだため、昭和20年代においても、都市生活をするには「核家族」のリタラシーをマスターする必要があった。

ここが、農村共同体のリタラシーしか持たないまま、核家族のリタラシーをマスターすることなくリタイア年令を迎えた団塊世代と決定的に異なる点である。「核家族」のリタラシーの基本は、自己責任で独立性が強い点にある。親も子も、別の独立した人格として、互いの存在を認め合ってはじめて、核家族は成立する。この関係性は、「新人類世代」の形成に大きな役割を果たしただけでなく、「新人類Jr.世代」へも、色濃く引き継がれている。

新人類世代の親は、子供が家に居つこうとしても、メシも出さないし、洗濯もしてやらない。せいぜい、金を与えて「弁当でも買ってきて喰え」というぐらいだ。こうなると、家にいてブラブラしているメリットがない。弁当を買いに行くにも、最低限、近くのコンビニまで出かけていって、レジの売り子と顔を合わす必要がある。そう、世代交代とともに、ニートや引きこもりの問題もかなりの部分解決してしまうのだ。これもまた、「甘え・無責任」の世代たる、団塊世代の副産物だったのだ。


(07/03/02)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる