団塊技術者の罪






2007年問題として、団塊世代の企業からの「卒業」が与える社会的影響が、いろいろな視点から語られている。確かに数が多いし、最後の高度成長世代でもあることで、その第一線からの引退は、構造的に時代の画期とならざるを得ないだろう。団塊世代といえば、実は集団就職世代でもあり、その大部分は大メーカーのブルーカラーであった世代である。

そういう意味では、世代全体としては、日本のモノ作りの強みである「現場」をささえ、カイゼン等を通じて、創発的に生産技術の向上に貢献したことは確かである。それに引き換え、比較的少数である大卒ホワイトカラー層は、いたって評判が悪い。高度成長期の刷り込みのまま、経営戦略的に無策な、最後の「日本的経営」世代となることで、バブルからバブル崩壊、失われた十年という、ダッチロールをもたらした張本人である。

さて、ここで忘れられがちなのが、大卒・理系の技術者層である。実は、日本の製造業の「没落」をもたらした点に対しては、団塊技術者の責任は、はなはだしく大きなモノがある。そういう意味では、ホワイトカラー同様「有罪」だ。日本のメーカーにおいて、勝ち組と負け組を分けたモノは、ドルショック、オイルショック以降、プラザ合意後の円高といった変化の時期において、技術面のリーダーたる団塊世代の大卒技術者がどういう指向を選んだかにかかっていた。

彼らの問題点を列挙してみよう。まず第一の問題点は、欧米への「ものマネ」、キャッチアップ指向が非常に強かったことである。全てお手本は欧米にあり、それを取り入れて追いつくことが目的化してしまった。この結果、本来技術者が目指すべき、オリジナルの技術開発指向を持った人材は少数にとどまり、多くは、海外技術の翻訳者、伝道者になってしまった。彼らにとっては、国際学会が発表の場ではなく、最新情報を得る場だったことが、これを如実に語っている。

第二の問題点は、第一の問題点とも深く関わっているが、企業として、欧米からのアウトソーシングの受け皿指向を持ってしまったことである。欧米に追いつくためには、欧米市場で受け入れられることがその証となる。このため、欧米メーカーが提供していた製品を、労働コストや為替レート面での有利さを生かして代替することが、基本的な商品戦略となった。技術も、このために役立つモノしか開発しなかった。その結果、独自の商品を独自の市場で売るコトができず、より安価に製品を提供できる、新興工業国にその座を奪われることになった。

第三の問題点は、技術者に限らず、団塊世代特有の横並び指向の強さがある。団塊世代の主流は、工場のブルーカラーであった。しかし、日本のメーカーにおいては、ブルーカラーも大卒技術者も、収入面では余り差がない。こうなると、易きに流れるのも、この世代の特徴である。この結果、現場のブルーカラーのほうへの同化意識が働き、自ら「言われたことしかしない」技術労働者への道を選んだ。これが、技術部門の創造性を大きく奪うことになった。

第四の問題点は、科学への「信仰」とも言える過信を持っていた点である。確かに、戦後復興から高度成長という時代に育った世代だけあり、成長・発展は常に善であり、それを支えるものが科学である、という刷り込みが深くキザまれていても不思議ではない。しかし、それが通じるのが自分達の特殊事情である、ということが理解できなかった。その結果、経営や戦略という視点でしか解決できない問題も、技術が解決すると信じ、より状況を悪化させるコトにつながった。

第五の問題点は、彼らが「甘え・無責任」世代である点だ。「個」が確立しない農村共同体で育った世代ゆえ、責任はなるべく「お上」におしつけ、自分は曖昧な集団の中で「寄らば大樹の陰」と甘える。これが権威への甘えと期待を生み、官の利権構造の拡大を生み出した。談合等の利権問題になると、必ず渦中に「技官」が存在するのが、それを示している。この結果、グローバルな競争力を持つ独自の規格を立ち上げる、といった発想はほとんど生まれなかった。

日本のメーカーにおいては、この20年、彼らが技術面のリーダーであった。その結果、多くの日本企業は独自の「技術」を持つことができず、中国・インドの台頭に対しては、アウトソーシングの取り合いしかない状況になった。独創的な商品を開発できるような技術があれば、そういう競争にはならない。実際日本にも、それを達成し、「勝ち組」のグローバル企業となったメーカーもある。だが、数からいけば、そうではない企業のほうが圧倒的に多い。

幸い、日本には彼らと同世代の高卒労働者が、創発的に築き上げた、高度な生産技術の蓄積があった。この面での優位性は確かにあり、労働コストの問題さえクリアできれば、国際市場での「アウトソーシングの取り合い」にも、充分に太刀打ちできる。彼らの子供世代である「団塊jr.世代」が、非正規雇用の低賃金により、「下流」化しているといわれる。しかし、その原因は新興工業国とコスト競争をせざるを得ないメーカーを生み出した、団塊世代の技術者にあったのだ。なんのことはない。ツケが子供に回り、因果がくりかえすだけなのだが。



(07/06/08)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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