守るべきもの






「保守政党対革新政党」「右対左」といえば、今やなつかしい永田町の55年体制である。昭和の高度成長期を支えたこのスキームは、今となってみれば、本質的に既得権擁護の利権・許認可体制であることがハッキリした。左も右も、どちらにしろ「寄らば大樹の陰」で、「お上」や「大組織」にぶるさがって、甘い汁を吸えるだけ吸おうというところは全く共通している。それを実現するプロセスが若干違うだけであった。

よく言われるように、同じをコトをやっているのだが、その中での「立場の違い」があったほうが、システムは堅牢になるし、結果的に互いに背中同士で支えあうことにもつながる。安定性も、単独より高まることになる。そういう意味では、本質は保守も革新も、右も左も同じ穴のムジナであった。このような時代が長く続いた結果、現代の日本では、「保守」というと「55年体制下の保守」というイメージが浮かんでしまう。

だが、これは本来の意味での「保守」ではない。今、政治の軸が見えにくくなっている理由の一つはここにある。今の政治環境においては、「利権・既得権擁護の大きな政府」か「自由競争を重視する小さな政府」か、というのが主要な対立軸になっている。しかし、今の政党は、合従連衡を繰り返したとはいえ、55年体制のスキームを色濃く残している。このため、政党の政策フレームと、政治姿勢とがシンクロしないことになる。

かつての「左よりの革新政党」の流れは、「利権・既得権擁護の大きな政府」のほうにしかないのは明白である。問題は、かつての「右よりの保守政党」の流れからは、「利権・既得権擁護の大きな政府」と「自由競争を重視する小さな政府」の両方が出てきている点である。個々の政治家一人一人を見てゆけば、その政治信条がどちらに属するものか判断することは可能だ。

しかし、政党という集団になると、その性質上、政治姿勢は曖昧にならざるを得ない。それは、「右よりの保守政党」の中で「利権・既得権擁護の大きな政府」を求める人たちの本質的習性に由来する。このような人たちは、そもそも「寄らば大樹の陰」を求めるワケで、それが行動原理となっている。明確な政治姿勢を持ち、それに基づいて判断・行動するのではなく、結果論として「大樹」に引き寄せられているだけである。

そうであるなら、こういう人たちが、より大きい、政権を取っている集団に摺り寄るのは、当然の成り行きといえるだろう。一方、議会においては「数が力」であるため、明確な政治姿勢を持たず、いわば「利益誘導しやすい」人たちの存在は、政策を持っている人たちからしても、扱いやすく、決して悪い存在ではない。よって、「保守の流れを汲む政党」は、ますます政策が曖昧にならざるを得ない。

日本の政治構造の本質がそうである以上、政策的に純化した政党を作ることは不可能になる。大衆民主主義を是とするなら、このジレンマから逃れることはできない。しかし、数合わせの人たちは、ある程度の甘い汁さえ用意すれば、自分から摺り寄ってくるという特徴がある。それならその分の利権は、ある種の「セーフネット」と割り切って対応すれば、現状よりは「マシ」な状況を作ることは不可能ではない。

今、日本の政治において必要なのは、55年体制ではなく、本来の意味での「保守」政党を創り出すことである。「保守」というからには、守るべき価値を持っている人たちということである。その守るべきものが何か、それが問題である。形式を守るのか、本質を守るのか。様式を守るのか、心を守るのか。55年体制における保守は、あくまでも形式であり、様式を守ることであった。言い換えれば、「利権体制」を守ることである。

それは、本来の意味での保守ではない。保守政治は、本質であり、心を守るところに本質がある。この違いは、そのヒトが「失う価値」があるかないかによる。失う価値があるなら、システムの表面的な形式や様式を変えても、それを守り通す必要がある。逆に失う価値がないものにとっては、守るものは、現状の既得権や利権だけとなる。こういう人たちは、そういう権益の源泉となっている、現状の形式や様式を維持することが、なによりも重要になる。

失う価値があるかどうかという違いは、19世紀末から20世紀初頭の言葉でいえば、有産者か無産者か、ということになる。失うものがある者、すなわち有産者にとっては、保守とは失ってはならないものを維持し続けることである。これに対し、失うもののない者は、無産者である。無産者にとっては、自分に帰属する「失うもの」はない。その分、守るべきものは、自分の外側にある「お上」が与えてくれる利権だけ、ということになる。

戦前の日本においても、有産者のための政治と無産者のための政治という、極めて大きな二つの流れの交代があった。何度も語ったように、19世紀から1910年代まで続いた「明治憲政体制」が、有産者のための政治体制であり、その後20年余りの拮抗を経て、戦時体制下に確立した今に続く「40年体制」が、無産者のための政治体制であった。「真の保守不在」は、何も戦後に始まったことではなく、戦時下に確立した事象だったのだ。

この意味でも、「保守」を考える上で、「戦前・戦後」というフレームは無意味である。必要なのは、「明治憲政体制か、40年体制か」というフレームである。「戦前・戦後」という枠組み自体、官僚を中心とする「40年体制」の担い手たちが、「40年体制」という連続性を不明確にし、自らの責任を曖昧にするために持ち出されたものであることを忘れてはならない。1920年代ぐらいまでの日本は、極めて自由主義的な経済政策が取られていた。真の保守なら、回帰すべきは「戦前」ではなく、「明治憲政」体制なのである。




(07/09/07)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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