政界再編






大連立構想による、民主党小沢代表の辞任表明、そして慰留による辞任撤回というドタバタ劇は、結果的に、組織としてのヴィジョンもまとまりもなく、けっきょくは選挙を有利に戦いたいだけの「烏合の衆」という、民主党の本質をあらわにして終わった感がある。小沢さんに、ちょっと勇み足的なところがあったのも確かだが、結果的には、党内の求心力としての存在感が高まってしまった面もある。

このところ、政界の動きというと、決まって「敵失で結果的に勝つ」パターンが多い。オウンゴールの多いほうが負け、という、救いようのない泥仕合ばかりである。今回の騒動も、「小沢代表」対「民主党」と考えると、「民主党」の一人負け、それもそうとうにトホホな負け方である。だからといって自民党が得したかというと、本質的部分ではそんなことはない。それは、自民党もまた烏合の衆、現状では民主党とどっこいどっこいだ。

なぜ、こういう状況になっているのか。それは、自民党も民主党も、それぞれの党内に「腸捻転」ともいえる矛盾を抱え込んでしまっているからだ。それこそ、前回の本稿で指摘した、「自立・自己責任」に基づく「競争原理・小さな政府」と、「甘え・無責任」に基づく「利権・大きな政府」という、根本的な政策対立である。それぞれ、歴史的な経緯は異なるが、結果的に同じ穴のムジナになってしまっている。これがある限り、政治の状況は改善されない。

自民党においては、もともと、官僚と結んで利権拡大を図る族議員がかなりのパーセンテージで存在していた。こういう「甘え・無責任」に基づく「利権・大きな政府」ヘの指向は、タカ派・ハト派といった政治信条や、都会・農村といった地盤を問わず存在する。また、80年代までの自民党では、「自立・自己責任」に基づく「競争原理・小さな政府」を目指す「責任政治家」も少なからず存在した。従って、そういう「責任政治家」を表に立て政策論議をタテマエとし、裏で利権構造を満喫することが可能だった。

高度成長期においては、右肩上がりの経済が、この矛盾に満ちた裏構造を曖昧にし、とりたてて問題にしなくても済む状況を作り出していた。しかし、バブル崩壊と共に、そのような「40年体制の楽園」も崩壊した。そこで政界に起こったのが、90年代の「新党ブーム」である。新党ブームの本質は、「自立・自己責任」に基づく「競争原理・小さな政府」を目指す問題意識の高い保守政治家が、自民党を見限り、続々新党を結成したところにある。

この結果、自民党はかつてのようなバランスが崩れ、責任政治家が減少する一方で、「利権・大きな政府」を指向する政治家の比率が高まった。この結果、俗に「失われた十年」といわれるが、90年代を通して、景気浮揚の名の元に怒涛のばら撒き行政が行われ、結果として大幅な財政赤字を生み出すこととなった。利権政党となった自民党に対し、官と結んだ利権構造を崩すことで「自民党をぶっ壊す」といった小泉前首相は、なるほど、その限りにおいては論理的に正しい。

しかし、多数派たる無責任政治家たちは、そんなことでは怯まない。小泉元首相が退陣するや、雨後の筍のごとく頭を持ち上げ出し、いかに安部内閣が口頭では小泉改革の継続を主張しても、実態としては、利権構造の復活を果たすこととなった。今や、郵政民営化すら、民営化の名の元の「焼け太り」になる可能性が高い。かくして、現状の自民党では、責任ある政策を実行することは不可能となった。

一方、新党ブーム期に自民党を離党した政治家たちも、全体数からすれば多勢に不勢である。議会が数の勝負である以上、政治では員数合わせが至上命題となる。かくして、当時の野党であった、旧革新政党と組む必要が生まれてくる。しかし、この革新政党というのが、「甘え・無責任」に基づく「利権・大きな政府」を求める人たちの巣窟なのだ。そもそも、ベースとしている労働組合が、そういう目的のために作られたものだから、これはどうしようもない。

かくして、今の民主党につながる、政見を持った責任保守政治家と、労働組合ベースの無責任政治家の組合せという、もう一つの極が出来上がることになる。ところが、社会のグローバル化の進展と共に、かつてのようなイデオロギー的な対立軸は影を潜め、「競争原理・小さな政府」か「利権・大きな政府」かという、国や政府のあり方自体が、もっとも重要な政治的争点となってしまった。にもかかわらず、二大政党とも、自らの身中にこの争点の両方を抱え込んでしまっている。

ここで求められることは、ただ一つ。自民党と民主党をガラポンして、今の政策上の対立軸に沿った形で、「自立・自己責任」に基づく「競争原理・小さな政府」党と、「甘え・無責任」に基づく「利権・大きな政府」党とに再編することである。これなら、うそ偽りなく、自らの信じるところを政治的主張として争うことができる。日本の現状を救い、活性化するには、この道しかない。「大連立」が政党再編ための手段であったなら、それはそれで評価すべきことであったと思うが。


(07/11/16)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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