罪作りな物作り







21世紀の今でも、日本が「ものづくり大国」として語られることが多い。確かに、世界的に見た場合、ある面では日本のものづくり技術はひいでている。しかし、日本の技術の優れているところは、製品の設計のような直接的なハードの技術ではない。日本の「製品」が良いワケではないのだ。優れている点は、、それを生産するための技術、いわばソフト的な技術にある。トヨタの「カンバン方式」などが有名だが、その結果、日本は世界でも極めて生産性が高くなった。

たとえば、東海道新幹線の強みもそうだった。車輌については既存の技術の集大成であり、それなりにリファインされてはいたが、決して斬新なものではない。もっというと、意図的に、すでに実績があり熟成された技術しか使わず、リスクのある新技術の採用はできるだけ避けたことは、関係者にはよく知られている。新幹線の技術面での革命は、高速列車を高頻度で定時に運行するための、運行システムや安全システムにある。

車輌技術については、日本も決して劣っているわけではないが、高速や安全のための新技術開発については、欧米のほうが一日の長がある。しかし、海外の運行システムでは、在来の列車でも、5分ヘッドで走らせることすら難しい。このため、欧米の高速列車は、密度が高い時間帯でも、開通時の東海道新幹線のごとく30分ヘッドがせいぜいである。ニーズがそのレベルということもあるが、発想が違うのである。

鉄道は、道路と自動車の関係と異なり、全てがトータルなシステムとなって運用される。車輌だけでは、鉄道とはならないのだ。したがって、ハード面でもソフト面でも実現可能なことは、得意なほうで実現すればよい。日本では、安全についても、車輌を重武装させるのではなく、運行面で安全を確保する発想をとっている。ハードの規格が同じでも、安全装置が異なると車輌が乗り入れられないというのは、日本ならではの現象だ。

もちろん、高い生産性は、生産技術だけで実現したものではない。他人から見られるとキチンとやるという、日本人独特の「倫理観」が、労働集約的な環境下で功を奏し、極めて勤勉にせざるを得ない状況を生み出していたことも見逃せない。労働集約環境は、期せずして強力な相互監視環境となっていた。この二つの要素が調和して、あの高度成長を実現したことは、寄って立つ価値観はどうあれ、事実は事実として、認めざるを得ないことである。

さて、この両者が蜜月だったのは、日本の強みが、低賃金による労働集約的生産という、開発途上国型の工業生産にあった時代にのみ当てはまる。先進国型の高付加価値生産が求められるようになると、両者の乖離が始まる。ドルショック、オイルショック以降、日本の製造業は、労賃の上昇を吸収し、さらなる生産性の向上を図るべく、労働集約的なスタイルを脱し、高度に機械化・自動化を進めた工場づくりを目指した。ここでは、労働者は主に機械の管理者と位置づけられた。

もともと、人減らしが目的だっただけに、管理者は重複しては置かれない。当然、相互監視の機能は失われる。他人の目がないところで、根が「甘え・無責任」な日本の大衆がやることは一つ、「鬼のいぬ間の洗濯」、「旅の恥はかき捨て」である。ここで問題なのは、生産技術の改良が人減らし以上に進み、隠れた余剰人員を抱えても、充分に生産性を向上できてしまったところにある。これが、80年代のバブル期の状況である。

あの時期は、極度に労働力の需給のバランスが崩れ、「3K」と呼ばれたように、誰もやりたがらない職業ができた。この時期、生産技術の改良に見合ったさらなる人減らしが行われ、日本企業の構造改革が10年早く行われていたなら、バブル崩壊もなく、安定的な繁栄が続いていたかもしれない。当時の日本企業は、売上中心主義で利益を考える経営ではなかったため、さらなる生産性向上へのモチベーションが働かなかったのだ。

かくして、元来日本の組織が持っている「ぶる下がる共同体」としての側面が、80年代を通して肥大化することになる。本当に働いている一部の人と、働いているフリをする多くの取り巻き。年功制の悪平等な待遇が、それに輪をかけた。こうなると、高生産性も罪作りである。もともと、顧客や取引先、株主といった、外部のステークホールダーのメリットとなるべき「生産性」が、内部向けの甘い汁となってしまったのだ。

日本企業、ひいては日本社会の構造的問題の多くは、もともと日本人の特性に内在していたものが、高度成長から安定成長に移る変化の中で、拡大し顕在化したものである。そう考えると、変化を前向きのチャンスではなく、既得権の擁護拡大へと換骨奪胎した、まさにその「主犯」である「団塊の世代」の姿が浮かんでくる。無責任に徹する彼らの責任を断罪しない限り、日本社会の構造的問題は解決しないのだ。



(07/12/07)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる