リスク抵抗力






中国製冷凍食品への殺虫剤の混入が、メディアをにぎわせている。その後の調査で、同様に混入された商品が発見されたが、それは、消費者が気付くような異常な状態で、クレームとして返品されたものだったという。特定の商品からのみ、異常な濃度で検出されているところから、どうやら「故意」による混入という線が強まり、「誰が、何のために」というところが、ワイドショーの主要なネタとなりつつある。

ちょっと前には、賞味期限など、食品に関連する「偽装」が問題になっていた。しかし、それとて賞味期限を丸呑みにして、無批判に信じてしまうことのほうが異常である。レトルトパックでも、パッケージに目に見えないような小さな傷があれば、そこから空気が進入し、内容物が傷んでしまうこともある。食品であればこそ、自分の五感で安全性を確かめてから使うのが基本である。

工場で生産された加工食品が一般化したのは、日本においては、ここ30年程度。食品・飲料流通の中心が、大型スーパー中心になってからのことだ。それ以前、1970年代ぐらいまでは、消費者が自己責任でチェックするのが当たり前だった。田舎の「よろずや」で販売されている食品など、「一体いつから棚にあるかわからない」ような代物も多かった。それでも、消費者が自己防衛していたから問題は起きなかった。

コト、食の問題については、かなりの部分が消費者サイドで注意を払うことによって、実害を防ぐことができる。確かに、偽装や混入は犯罪であり、問題なのだが、それを実害に至らしめるかどうかには、リスクヘッジをかけられるのだ。そう考えれば、昨今起こっている、俗に「食の安全性」といわれている問題は、実は、昔に比べて、消費者のリスクへの感受性や抵抗力が減ったことに由来していることがわかる。

最近レトロブームで注目されている、昭和30年代。その頃の庶民の家には、電気冷蔵庫はないし、ましてや冷凍庫などない。あっても、氷式の冷蔵庫であったし、朝作ったオカズを、風通しのいいところで「保存」し、夕食に食べるということもあった。今でいう中食的なモノもあったが、肉屋や惣菜やで売っているそれらは、経木に包んであるだけで、そもそも「賞味期限」などスタンプされていなかった。

それが食べても大丈夫かどうかは、自分で判断する力があったし、そこに委ねられていた。そういう意味では、高度成長期においては、社会全体が、今より自己責任で成り立っていたことに気付く。今、鉄道のプラットフォームには、視覚障害者用の黄色いタイルで描かれた線がある。駅のアナウンスの基準は、「黄色い線の内側でお待ちください」である。しかし、プラットフォームをよく見ると、その外側に白線があるのに気付くはずだ。

かつては、この白線が安全の基準であった。駅のアナウンスも「白線の内側にお下がりください」だった。世の中が「親切」になる一方、リスク責任を社会の側に転嫁する動きが強まった結果、リスクの基準となる線が、文字通り40センチ近く後退してしまったのだ。かつての乗客は、この白線のところでも、危険を感知するコトができた。転落センサーも、ホームドアもなかったが、それで問題は起きなかった。

もちろん、鉄道においては、時々事故にあって死ぬヒトもいた。そもそも、安全装置がプアだった分、毎年のように大事故が起こり、それに巻き込まれるリスクもあった。しかし、一人一人が自己責任でリスクに対応できた。それゆえ、線路を歩いていても、今ほどは怒られなかった。地方では、鉄道の線路が日常の通路となっているところも多かった。それでも、特に問題は起きなかったのだ。

この裏には、特に1980年代以降顕著になった傾向、それは「社会への甘え」だったり、「過剰に他人を信用すること」だったり、「悪いことは全部相手のせいにすること」だったりするのだが、それが根っことなって現れてきた現象と見ることができる。すなわち「甘え・無責任」基調の社会になったためである。この現象は、農村共同体的なリタラシーが刷り込まれた「団塊世代」と、それを受け継ぐ家庭で育った「団塊Jr.世代」の特徴でもある。

自分に責任があることも、社会が悪い、システムが悪いと、「自分以外」の側の責任にする。自分が転んだのに、「道に穴があるほうが悪い」というヤツだ。それなら、何のために目玉がついているのか、ということになる。リスク抵抗力が極端に低下しだしたのは、「甘え・無責任」な人たちが社会のマジョリティーとなり、それが世の中のベースとして許容されてしまったからに他ならない。昨今の事件こそ、「甘え・無責任」社会と化した日本への警鐘と考えるべきなのだ。


(08/02/08)

(c)2008 FUJII Yoshihiko


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