移民の歌






日本の人口構造が抱える問題は、かつてのような「少子高齢化」という捉えかたから、もっとストレートに「人口減少社会」というスキームで捉えられるようになってきた。経済成長を支えるためには、外国人労働力の活用が必須のモノとなっている。というより、すでに外国人の働き手が主役になっている業種も多いのが実情である。これとともに、日本人が持っている、外国人労働者や移民への忌避意識が問題視されるようになってきた。

このような日本のガイジン忌避意識は、自分の属する集団を閉鎖的にしがちな、「稲作文化のムラ社会に基づくもの」と説明されることが多い。ある種、排外主義が共同体主義に根ざしていることは確かだが、その原因を稲作文化の本質に帰するのは、あまりに単線的である。その証拠に、外国人労働者や移民忌避は、日本に限らず、下流ナショナリズムとして、世界各国で見られる現象である。下流ナショナリズムは、90年代以降、ヨーロッパなど先進国でも顕著になり、ネオナチなどのとの関連で問題にされるが、特に根強く醜悪なのがかつての開発途上国である。

移民労働者は、低賃金で勤勉に働く。とにかく「金を稼ぎたい」という強いモチベーションがあるから、どんな過酷な条件でも本気で働く。これは、ハワイやブラジルに移民した、かつての日本人移民と同じである。日本でも、最近でこそ、外国人スリ団や強盗団の「活躍」が目立つが、相変わらず、日本人が働きたがらない3K業種で、黙々と仕事をこなす外国人労働者も多い。というより、そういう業種は、もはや外国人の労働力なしには立ち行かない状態になっている。これを見ても、カネの力がいかにヒトを勤勉にするかがわかるというモノだ。

その一方で、このような国々では、ネイティブの下層労働者は労働意欲が低く、いかに働かずして金をせしめるかに汲々としている。すなわち、かつての「第三社会」においては、低賃金労働者層は、長い間の慣習から、いわば安かろう悪かろうの労働市場と化している。賃金は安くても、楽して金がもらえるなら、勤勉に働いてたくさんもらうよりおいしいし、性に合っている。これが、下層労働者の本質である。働かないで分け前に預かることが、一種の既得権化しているのだ。

ある程度の経済力がある国や地域なら、経済を引っ張るセクタこそ、生産性や成長性が問われるが、「誰かがやればいい」類のセクタでは、作業の質はあまり問われない。ましてこれらの国々では、国全体の富が一部の富豪に吸われてしまうような経済構造を持っている。このような国においては、利権化したモノカルチャ業種を除き、ほとんどの産業が、作業の質は問われず「適当にやればいい」セクタになっているといってもいい。ここに、「下層労働者」にとって、甘い汁を吸える既得権が生まれてくる。

しかし、ここに同じ賃金で勤勉に働く外国人労働者がやってきたらどうなるか。「どうでもいい」経済の国といえども、働かない人間に給料を払うより、よく働く人間に給料を払うほうが、経営者にとってのメリットは大きい。「仕事をしないで、おいしい思いをすること」を生きがいとしている下層労働者は、間違いなく外国から来た労働者に取って代わられてしまう。それは、既得権が崩壊することを意味する。これは、下層労働者にとっては、天下の一大事である。

下層労働者は、この構造を本能的に察知しているからこそ、外国人労働者や移民に対し敵意を持つのだ。このように、下層労働者の既得権と、外国人労働力にとっての「オイシサ」とは、同一事象の裏表であり、本質的に競合する関係にある。日本は、ご存知のように「甘え・無責任」の社会である。そして、それが下層労働者のみならず、あらゆる階層に浸透している「原理」となっているのは、高級官僚の所業を見ていればすぐわかる。

3K労働のみならず、ホワイトカラーなどの知的労働も含めて、勤勉に働く外国人が増えると、「甘え・無責任」でいられる「寄らば大樹の陰」がなくなってしまう。これを恐れるからこそ、諸外国以上に、幅広い層が、よりハゲしく、外国人を忌避するのだ。そういう意味では、外国人労働者だけでなく、外国人経営者や外資なども同じように忌避する理由がわかる。グローバルスタンダードは、甘え・無責任を許さないからだ。

それならば、「監視が厳しくなると、それなりにキチンとするようになる」という、日本人のもう一つの共同体的習性を考えると、外国からの移民が増えれば、エリを正さざるを得なくなる分、日本人もそれなりに働くようになり、生産性が高まり、成長も回復するということではないか。まさに、一石二鳥である。労働力不足を補うだけでなく、「甘え・無責任」に浸りきった大衆の根性を叩きなおす。そう、甘え・無責任な人々が、本能的に反発するものだからこそ、日本の活性化には、外国人の流入が欠かせないのだ。


(08/07/11)

(c)2008 FUJII Yoshihiko


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