恋愛市場主義






男女関係とは、一見個人の問題であるように思われがちだが、そのベースになっているジェンダーが極めて社会的なものであるがゆえに、極めて社会構造の影響を受けやすいモノである。前からここで主張していることだが、日本の男性社会は、「甘え・無責任」を正当化するための仕組みである。当然、日本が男性社会だった時期の男女関係もまた、これを反映し、男性が「甘え・無責任」に過ごせる仕組みが、幾重にもビルトインされていた。

既得権化してしまった夫婦関係など、その典型的であろう。男女に限らず、二人の人間の間で、良好な関係を維持するためには、少なくとも常に相手に気を使って、好意を惹く必要がある。しかし日本の男性は、結婚という関係性に甘えてしまい、良好な関係を維持する努力をしている人は少数派である。夫婦関係は、本質的に既得権なのではない。みんながみんな「甘え・無責任」なので、既得権を認め合っているだけのことなのだ。

従って、多くの場合、女性は現状に不満を持っている。まあ、中には女性のほうが男性以上に「甘え・無責任」度が強く、面倒なことは全て「恐妻家」の旦那に押し付けてしまう例もないわけではないが、ことこの問題については、男性のほうが「甘え・無責任」なことが多い。だからこそ、熟年離婚などという現象がおきるのだ。金の切れ目が、縁の切れ目。黙って金を持ってきてくれる分には、最低限の利用価値はあるが、金を稼がなくなったら、存在意義はゼロということである。

そんなワケだから、こういう「人妻」は、マメに気を遣えば、容易にオトせる。「何もしてもらっていない」状態なのだから、ふつうに優しくするだけでも、心を捕まえることができる。これゆえ、世に不倫は花盛りということになる。40代人妻では、不倫予備軍が過半数という調査もある。不倫というと、なにかうしろめたいイメージもあるがそんなことはない。現状に不満を持っている女性が、幸せで満足するようになるのだから、社会全体の幸福を増すという意味で、これはボランティア的に「良いこと」である。

現状に満足しているなら、そもそも不倫しない。こういう相手を「落とす」のは、極めて難しい。というより、失敗して自分が傷付くのがオチなので、経験値の高い男性は、現状に満足している相手には手を出さないものだ。ここを狙うのは、素人である。現状に満たされていないからこそ、よりそこをマメにフォローしてくれる相手に惹かれるワケだ。すでにある関係性を壊すのではなく、すでに壊れてしまったものを直してあげるのだ。

つまらない男、甲斐性のない男と結婚して、失敗したと思っている女性。このお悩みを、甲斐性があって女性の気持ちを受け止められる男性が受け止め、フォローする。つまり、いいモノが、悪いモノ、中途半端なモノを駆逐するワケだ。そう、これは市場原理である。市場原理からすれば、競争にさえ持ち込めば、既得権は通用しない。男女関係でも同じコトである。競争関係さえキープされれば、既得権は消え去ってしまうのだ。

仮面夫婦ではないが、戸籍上夫婦関係にあっても、精神的に満たされていないのであれば、その関係性は意味がない。男からすれば既得権かもしれないが、それは「甘え・無責任」な男性の論理である。女性からすれば、既得権に安住し、愛情を得るための努力をしない男のほうが間違っている。旦那以外の男が、愛情を得るための努力をしてくれるとすれば、そちらになびくのが当然である。

そこに競争関係があるからこそ、フェアだし、切磋琢磨して向上する。まさに、計画経済の旧ソ連が経済的に破綻したのも、市場経済を放棄したからこそ、既得権主義にひたりすぎて、発展・向上から取り残されてしまったからだ。幸せな生活を築くには、恋愛は市場原理でなくてはいけない。常に競争があるからこそ、男にとっても女にとっても、メリットがある。これこそ、健全な男女関係が維持される基本中の基本といえる。

こう考えると、昨今結婚できない男が増えているのも当然である。恋愛市場の競争において、勝ち目のない男が、かつては結婚できてしまったことのほうがおかしい。そういうカップルの行く末は、離婚するか、不幸になるか、どちらかである。官僚など、生き様自体が「甘え・無責任」なヒトたちは、家庭生活でも「甘え・無責任」な態度を取ることが多いだろう。そういう「女性を幸せにできるような甲斐性」すらない男が、結婚できてしまった世の中のほうがおかしい。まさに、一億総「甘え・無責任」な、右肩上がりの高度成長期ならではということができよう。

どちらにしろ、人生を間違えてしまうのだから、それなら、まだ「結婚できない」ほうが、傷は少ない。男女関係は常に競争なのだから、「常敗男」は、早く戦線離脱したほうが、幸せなのだ。オタクにでもなって二次元の世界に萌えるか、一生風俗やアダルト業界のヘビーユーザーとして暮らしたほうが、よほど充実した人生が送れるというものだ。自分が幸せになるための努力すらできない男に、女性を幸せにする能力があるとはとても思えない。無理というものだ。男は、女性に選ばれる存在なのだということを忘れてはならない。


(08/07/18)

(c)2008 FUJII Yoshihiko


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