40年目の予感






「団塊世代」というと、強力な求心力でまとまり一枚岩のように思われていたが、その実態としては、すでに何度も述べてきたように、常に二層構造を成していた。昨今、階層化が注目される中で、「団塊世代の階層分離」が語られることが多いが、それは実際の構造を見誤った議論である。団塊世代を中心とする、昭和20年代前半生まれの世代を考えるためには、この二つのクラスタを峻別することがカギとなる。

「団塊世代」のマスを占めるクラスタは、いうまでもなく「集団就職」クラスタである。疎開や引き上げ等で人口が増大した、農地改革前後の農村部で生まれ育ち、農村共同体的なリテラシーを色濃く刷り込まれた。そして高校卒業後、都市部の大企業を中心とするブルーカラーとして就職し、成人してからは大都市近郊のニュータウンに住まうことになったヒトたちである。数が多いだけに、世代全体としての特徴は、このクラスタの動向にかかっていた。

一方で、かなり毛色の異なるもう一つのクラスタも存在する。親の代以前から都会に在住し、都市部で生まれそだったヒトたちも、この世代には1〜2割のヴォリューム感で存在する。親に、戦前のホワイトカラーが多かっただけに、比較的裕福であり、学歴も高く、文字通り「都会的」なヒトたちであり、いわば「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタということができる。容易に想像できるように、このクラスタに属する人々の特性は、多数派の「集団就職」クラスタとは大きく異なる。

この「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタの特徴のひとつに、比較的クリエイティブで発信力が強い点があげられる。映画や演劇、音楽をはじめ、デザイン・イラストレーションといったアートにおいても、このクラスタからはかなりビッグネームが輩出している。60年代末から70年代初頭にかけて、日本でもアンダーグラウンドやオルタナティブな「文化」が花開いた時代があるが、このカウンターカルチャーを、クリエイター・消費者両面から支えたのも、このクラスタである。

その意味で、「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタが、この世代の「発信源」であることは間違いない。その一方で、「集団就職」クラスタは「純粋消費者」であり、クリエイターや発信者のほうに回ることはない。高度成長期の日本企業においては、年功給が基本であり、年齢が一緒なら、ホワイトカラーもブルーカラーもそれほど年収は違わなかった。このため「集団就職」クラスタも、消費者としての購買力においては、強力なものがあった。

団塊世代の求心力とは、この強力な購買力をベースに、「集団就職」クラスタが「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタに自己同化しようとすることにより生み出されたものである。「集団就職」クラスタは、大学進学率が一割前後しかないにもかかわらず、今となって「全共闘世代」を自称し、若者の頃は歌謡曲しか聞かなかったにもかかわらず、今となって「ビートルズ世代」を自称している「偽装性」が、なによりその証拠である。

さて、ここで一つ気付くことがある。それは「団塊世代」が、何らかの文化的貢献をしうるのは、「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタと「集団就職」クラスタが、明確に分離していた時期に限られる点である。「集団就職」クラスタが世代を主導する時期には、経済効果こそあるものの、文化的な発信をおこなっても、多勢に無勢でかき消されてしまう。80年代・バブル期に、この世代の文化的足跡が薄くなるのは、発信力が弱まったというより、このマスキング効果によるのである。

ふと気がつくと、昭和20年代生まれ世代でも、「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタのほうは妙に元気がいい。ぼくなどは、その下の世代に属するのだが、なにやら70年前後に上の世代を見上げたときのような、「活気」を感じさせるような瞬間もままある。これはなにより、「団塊世代」の虚構の一体感が崩壊し、いくらがんばっても、マスとしての「集団就職」クラスタは、「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタにキャッチアップできなくなってきたことによりもたらされたものであろう。

「団塊世代」という抽象的概念でなく、昭和20年代生まれ世代の「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタは、確かにそろそこ何かを起こしそうである。理由というよりは、40年前のデジャブ感でしかないが、時代の胎動は確かに感じる。この「お坊ちゃま・お嬢さま」クラスタは、意識や価値観を調査すると、同世代の「集団就職」クラスタより、新人類世代のほうにはるかに近い。そういう意味では、ここからまたぞろ文化革命が始まり、それが波及する予感もするといえるだろう。


(08/08/22)

(c)2008 FUJII Yoshihiko


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