限界集落





昨今、社会の高齢化の進展とともに、医療や介護といったサービス機能の関係化から、大都市への高齢者の集中が目立っている。それとともに、地方における過疎化の進展も一層進んでいる。このため、かつてはそれなりの規模があった集落も、現状では、単身の高齢者が数世帯のみ生活しているという状況になっている例も多い。今住んでいる人たちが亡くなったら、集落もそのまま廃墟となり、崩れ去る運命にある。

こういう集落を、専門用語で限界集落という。この用語も、昨今ではテレビや新聞等でよく目にするようになった。それだけ、いろいろなところで差し迫った問題となっているということもできるが、気になるのは、このコトバが語られるときの論調である。あたかも限界集落が出来てしまうのが悪いことのように語られ、それを救うことが誰かの責任であるようなトーンを持っているコトが多い。しかし、それには重大な事実誤認がある。

そもそも、集落のみならず、町や村も含めて、その地域に根ざした人間集団というのが、未来永劫永続的に続くことは、アプリオリに保障されているものではない。その集団が長期間継続したとしても、それはあくまでも結果であり、継続が目的だったからではない。そもそも、人々がそこに集住するコトになったのには理由がある。そして、その理由こそが、その集団がいつまで続くのか規定する最大の要因となる。

一番大きいのは、経済的理由であろう。人類が農耕や牧畜をはじめて以来、そこで作る作物や育てる家畜に適した土地に定住し、生産にリソースを集中するモチベーションが生まれた。一次産業は、それ自体が自然の一部分である以上、これには水利や日照等地形そのものに由来する要素が大きいため、年月が経っても比較的変化が少ない。有史以前から人が住んでいた集落というのも、地球上にはいくらでもあるし、日本にだって存在する。

しかし、そういう農業集落でも、住民が放棄して集落がなくなってしまった例も多い。たとえば、洪水で川の流れが変わり、水利が得られなくなってしまった場合。あるいは、火山の噴火による火砕流等により、耕地が埋まってしまい、復元不可能になってしまった場合。自然条件を利用している以上、自然条件が変化してしまえば、もはや集落は存続できなくなる。浅間山の山麓にある、火山灰に埋まった江戸時代の農村などは、その例である。

一方、もともと経済的事情により作られた産業都市などは、成長その規模も大きく、成長速度も速いが、放棄されるのもドラスティックである。炭鉱や鉱山など、栄えていたときには、何万人という住民で賑わい、鉄道まで敷かれていた街が、廃坑になるとともに、たちまち誰もいないゴーストタウンになってしまった例も、昨今ブームの「廃墟写真集」を見るまでもなく、日本列島のそこここでみることができる。

このところ、財政破綻により名を馳せた、北海道の夕張市や赤平市も、その炭鉱が人里離れた絶界にあるのではなく、比較的人口の多い地域の近辺にあったため、全てを放棄してゴーストタウンになりきれなかったがゆえに、現状の問題が起きたともいえる。個々の事情はともあれ、このように、そもそもその集落ができあがった経済的要因が失われれば、容易に継続不可能な状態に陥るのだ。

次に見られる理由は、政治的、軍事的なものである。緊迫した対立をはらむ国境地帯などには、「屯田兵」のような軍事力の常駐は、古くから行われてきた。また、新たに獲得した領土には、殖民を行い、開墾させることで、その地域への支配を既成事実化する。このようにして発生した集落は、実は経済的に自立しているわけではなく、中央からの政治的、軍事的な費用負担があってはじめて「首が回る」ことになる。

北海道の道東では、明治以降、原野など元来ヒトがすんでいなかったところに、政治的意図から人を住まわせた集落が多い。このようなエリアでは、開拓地とはいっても、インフラコスト等全てを含めると、その地域の全生産よりも、全コストのほうが高い地域が多い。このような集落は、中央がコストを負担し、外部から不断に資源・エネルギーを注入しなくては、存続できない。

このような集落は、そもそもサステナビリティーという面からして無理がある。そこに人が住んでいること自体が、エコロジカルではなく、エネルギーの無駄遣いなのだ。各個人からすれば、生まれ育った土地とか、ノスタルジアはあるとは思うが、そこに集落があること自体が、人類的に見れば間違いとしかいいようがない。右肩上がりの高度成長期なら、その負担も耐えられたろうが、もはやそうではない。限界集落は、神の手の成すがままに。これが、思し召しというものだ。


(08/10/24)

(c)2008 FUJII Yoshihiko


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