「会社員」の終焉





おととしのサブプライム問題に端を発した、アメリカの経済危機が深刻化して以来、日本では、正規雇用と非正規雇用という問題がクローズアップされている。この議論においては、「働くこと=会社員になること」というスキームを、当然の前提としている。しかし、そのスキーム自体の正当性が議論されることはない。この短視眼的な視方が、雇用問題の議論を歪ませていることに、誰も気付いていないのはなんとも不思議である。

そもそも「会社員になって働く」というスタイルが、日本で「常識」となったのは、高度成長を遂げた昭和40年代以降のこと。たかだか3〜40年の歴史でしかない。それが金科玉条のごとく思われてしまうのは、単に、現在の労働人口が、ほぼ全てそのスタイルを踏襲して「働いて」いるからにすぎない。社会人のほとんどが、他の「働き方」を知らないからこそ、「働くこと=社員」になることという思い込みが生まれてしまうだけなのだ。

「三丁目の夕日」以来、レトロブームの中心となっている「昭和30年代前半」においては、「会社勤め」というのは、憧れでこそあれ、多くの人が実際に働いていた勤務形態ではない。まさに映画に描かれたように、集団就職で都会に出てきたものの、個人に雇われ住み込みで働く人も多かった。その後の団塊世代が、集団就職で大企業の工場に勤めるようになるのとは、大きな違いである。

レトロがブームになる以上、この時代を覚えている人々も、60代以上の層を中心に、今の日本社会にはまだまだたくさん生きている。この年代では、リタイアしたヒトも多いだろうが、そもそも当時のロールモデルが、丁稚奉公から、のれん分けで自営の看板を上げるものであった以上、今も現役で自営業を営んでいる人も多いだろう。それからもわかるように、その時代の働き方においては、終身雇用も定年もないのである。

だが、右肩上がりの経済とともに、世の中が全て安易なほうへ流れ、皆が皆、自分でリスクを取り努力をして自営業を営むより、会社員として親方日の丸的生活をするほうを望むようになった。バブル崩壊以降、地方の商店街の衰退が、「シャッター商店街」などといわれ問題とされている。しかし、これも実は、自営業を「上がり」とするロールモデルが崩れ、自営商店への新規参入がないことも要因のひとつとなっていることを見逃してはならない。

そう考えてゆくと、昨今の雇用問題の議論が、あまりに「企業による雇用」に偏った発想であることがわかる。そして、「企業による雇用」というのは、永遠でも絶対でもない。かつて「サラリーマンは気楽な稼業」と唄われたように、会社員として働くことは、「寄らば大樹の陰」で、無責任で楽なのだ。この期におよんで、労働組合が賃上げを求めることからもわかるように、会社員の地位をキープしようという発想自体が、「甘え・無責任」の産物である。

さすがに、子供というのは新鮮な目で時代を見つめている。最近の小学生では、将来の希望として、会社員や公務員といった、組織へ雇用される職業を選ぶ子は少ない。そういうスタイルに将来がないことを、敏感に感じ取っているからだ。そういう意味では、これからは「雇用」の時代ではなく、「生業」の時代になる。組織に頼って生活できたのは、産業社会末期のバブルだったのだ。産業社会のスキームが崩壊した以上、人間社会は原点に戻るしかない。

そういう意味では、昭和30年代以前の時代を知っている人が、まだまだたくさんいるというのは、日本社会にとってはラッキーではないか。それも「高齢化社会」で、相対的にたくさんいるのだ。これだけ知恵が残っているなら、その時代の社会構造を復元し再生することも、決して難しくはないはずだ。組織に頼って、その構成員として仕事ができる時代はもう来ない。それさえ念じていれば、今起りつつある変化も、難なく乗り越え、リスクをチャンスに変えられるはずだ。


(09/01/09)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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