元祖「おたく」の時代(その2)





さて、ここで問題になるのは、1970年代の社会的状況である。当時は、「正義」「正しさ」という軸が、社会的に定説となり、人々の間で共有されていた時代だったのだ。今とは違い、人々は、自分の内面の価値観より、社会的にエスタブリッシュされた「評価」にもとずいて、どういう行動をとるかを判断していた。「天下の公器」としてのジャーナリズムも、そういう「社会的正しさ」を代弁するオピニオンリーダーとして存在意義があった。

昨今、新聞業界では、人々の新聞離れを「活字離れ」として捉える傾向が強い。しかしその真相は、人々が自分の「好き嫌い」を行動基準とするようになったため、かつての新聞の役割であった、「社会的正しさ」を代弁するオピニオンリーダーが必要とされなくなったことにある。いわば、「ジャーナリズム離れ」なのである。自分の関心領域の情報なら、活字でもむさぼるように読む。その一方で、そもそも社会全体の動向には関心がなくなってしまったのだ。

そういう時代である「今」からは、とても想像がつかないかもしれないが、近代化しても「個人としての自我」が確立しなかった日本社会においては、「社会的正しさ」がすんなりと受け入れられていたのだ。その一方、高度成長による経済発展とともに、相対的に余裕を持った層の中からは、個人としての自分の価値観に忠実に生きることを求める人々が生まれてきた。彼ら、彼女らは、社会的常識と自分達とを対峙させることにより、自らのアイデンティティーを求めた。まさに「カウンターカルチャー」である。

こういう構造があったからこそ、メインストリームとサブカルチャーの対立が生まれた。その前の「学生運動ブーム」自体がそうであった。生きるための闘争であった「旧左翼」とは違い、政治的主張に身を借りてはいるものの、「新左翼」の本質的なところは、「自分が自分の思うように生きてゆく」ことを主張するところにあった。「漫研的なるもの」も、それが生み出された70年代初頭を色濃く染めていた、この時代的な背景から自由になることはできなかった。

そういう意味では、「漫研的なるもの」は、サブカルの中のサブカルである。学生運動が、政治的な、社会的に公認された対立軸の中でのマイノリティーである。したがって、「反体制」運動として、社会的にも居場所が認知されていた。一方「漫研的なるもの」は、政治的なサブカルに対するアンチテーゼであった。「自分が自分の思うように生きてゆく」ことを主張するためには、あえて既存の価値観である政治的なフレームを踏襲しなくてもいいではないか、という考えである。

この場合、敵の敵は味方とはならない。これが、マイノリティーのツラいところである。既成の価値観からすると、サブカルのサブカルは、もっと敵にされてしまう。社会的な居場所がないのである。既成の価値観と対立しつつ、既成の反体制とも対立する、孤立無援の存在だったのだ。ある意味、このような構造は、当時、音楽(日本のロック)、演劇(学生劇団)といった領域にも通底し、それらの間で、妙なオルタナの連帯感が生まれていたコトも確かだ。

一言で言えば、自分達の主張こそあるものの、アプリオリには、アイデンティティーが存在しない状態に置かれていたのだ。当時の「おたく」が「送り手の立場」に自分を置いたのは、自分達がもっているのは世界観だけで、具体的な自分達の世界を構成する要素が何一つ存在しなかったからである。自分の居場所をキープするには、まず自分の世界を自分で作らなくてはならなかった。おたくの立ち位置は、好んでそのポジションを得たというより、こういう生き方を選んだ以上の必然的帰結なのだ。

天皇制を確立した天武天皇は、自分のポジションを正当化し、永遠のものとするため、「神話」と「歴史」を必要とした。このため、日本書紀を作らせた。同様に、元祖おたくには、自分達を正当化し、アイデンティティーを築くための神話が必要だった。そして、それは自分で作るしかなかった。というより、当時それを意識して行ったわけではなく、自分達が生きてゆくための必然的なものとしておこなっただけである。モチベーションという以上に、神の手がペンを取らせ、そこに同人誌を生み出させたと言うべきだろう。

しかし、それが80年代になってからの弱さにつながる。80年代を迎えるとともに、「私」的なモノが、急速に日本社会のスタンダードになってしまった。「おたく」達が築いてきた「世界」と、互換性がない形で、「私」ベースの社会のスタンダードが構築されてしまったのだ。先駆者であったゆえに、独自の世界を築き上げなくてはならなかった。しかし、それはその後の社会的な標準とは別の独立した世界だった。そして、いわばはしごを外されたようなカタチで、80年代に入ってからの不幸である、揶揄としての「おたく」観が形成されることになるのだ。


(09/01/30)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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