元祖「おたく」の時代(その4)





今まで見てきたように、80年代に入ってマニアックなサブカル界は変質をとげ、ここに「おたく」的世界は成立した。そんな80年代の「おたく」的世界を特徴付けるものとしては、コンピュータとアイドルをあげることができるだろう。そもそも、個人で趣味の対象とできるコンピュータは、70年代にはなかった。また、アイドル絶頂期ともいえる、80年代のアイドルは、70年代の、一般の少年少女が熱を上げるそれとは、全く異なっていた。

今回は、その中でもまずコンピュータを語ってみたい。前にも取り上げたことがあるが、80年代においておたくが「おたく」たり得たバックグラウンドとしては、その時代が、同時にパソコンの時代であったことも大きく影響している。さて、マイコン・パソコンも、そのハードウェア自体は、コンピュータメーカや半導体メーカが主導して発売したものである。それはもともと、開発・試作ツールだったり、マシン語マスター用の入門機だったりした。

日本にマイコンブームを起こし、その後のPC-8001ひいては、PC-9801のパソコンブームを築くきっかけとなった、銘器として知られる、NECのワンボードマイコン、TK-80。この型番の「TK」とは、トレーニングキットの略である。これからもわかるように、TK-80は、決してホビー用のコンピュータとして発売されたものではなく、マシン語を習得し、組み込みプログラムを開発するための「教習機材」として売り出されたものであった。

当時の日本のコンピュータ業界は、大型コンピュータ中心であった、その主力メーカーであった富士通や日立が発売していた大型コンピュータは、「IBM互換機」と呼ばれる、IBM製コンピュータ用に開発したシステムが、そのまま動作する機種であった。これからもわかるように、当時のコンピュータメーカーには、あくまでもハードウェアを売る発想しかなかった。マシンがどう使われるかは、メーカの側は全く想定していなかった。

ましてや、デバイスに過ぎない「マイコン」である。売る側に何の期待も思い入れもなかったことは、容易に想像できる。しかし、マイコン・パソコンはブームとなり、情報化社会への過剰な期待も含めて、社会的なブームにまでなった。これを盛り上げたのは、ユーザの側なのである。それを面白がるヒトたちが集まって、自分達で楽しみながら盛り上げてしまった。それはまさに、当時ハヤった言葉でいえば、「勝手連」的なものであった。

それが、NECが秋葉原に開いた「Bit-inn」のような、メーカからのサポート・盛り上げに繋がったり、いくつも創刊された「マイコン雑誌」に、メーカが出稿し支援する体制をもたらした。ここで大きな役割を果たしたのが、秋葉原の半導体問屋である。その元来のビジネスモデルの特徴は、多品種少量の在庫を大量に抱えた、「ローリスク・ローリターン・低回転率」にある。在庫は多いが、自己資金で廻しているので、キャッシュフローさえ確実なら、それなりに廻るビジネスモデルということができる。

さて、マイコン自体、半導体の一種であるし、パソコンもその延長上で、8ビット時代はコンピュータの事業部ではなく、半導体の事業部で扱っていたメーカーが多い。当然、それらのチャネルは半導体系のものとなった。ハードとしてのパソコンは、半導体の小売よりは、余程単価が高く、数もソコソコ出るようになった。パソコンを扱う店も増えてくる。それらの店のルーツをたどると、こういうチャネル上の理由から、半導体問屋出身のところが多かった。

それら、マイコン・パソコンを扱う店には、放課後や週末には、自然にマニアが集まるようになった。そして、これまた当然のようにマニアからの「ソフト」の売り込みがはじまった。そもそも、ソフトは本質的にハイリスク・ハイリターン型のビジネスモデルである。この手の、今でいう「コンテンツ・ビジネス」は、一つ一つの当たり外れは大きいが、ある程度以上のヴォリュームがあれば、「ヘタな鉄砲も数うちゃアタる」とばかりに、一つ二つの「大当たり」が来る可能性のほうが高くなり、「儲かる商売」となる。

ソフト自体もはっきり言って玉石混交だったが、質の面でもまた数が集まれば、スケールメリットでヘッジがかかる。ここに、ハードを売りつつ、マニアから買い取ったソフトを自社ブランドでも販売する、初期パソコンショップのビジネスモデルが出来上がった。これらのショップは、その後の栄華衰勢の中でさまざまな遍歴を経ることになるが、その中には、ソフトメーカーになったり、周辺機器メーカーになったりして今に続いているところもある。

そして、ソフトを売り込んでいたパソコン「おたく」の少年たちは、その後雨後の筍のようにパソコンソフトハウスとして起業し、バブルに向かう景気と、分散処理へのパラダイムシフトの中、。ゲームソフト業界や、オープンアーキテクチャのシステム開発業界では、メインストリームとなってゆく。秋葉がアキバになる遠因がここにあったことは確かだが、そこに行くつくまでには、まだまだ変化にとんだ長い道のりがあることも事実だ。

80年代を通して、このカタチがパソコン界のデファクトスタンダードとなってゆく。その結果、ことパソコンの世界においては、ひらがな「おたく」的世界は、リアルな実業の世界の中に、キメラ状に溶け込んでゆく。それは、リアルが「おたく」の世界を取り込んだともいえるし、「おたく」がリアルの世界を取り込んだともいえる。このタコ壷に閉じこもらない、開かれた両義性こそが、80年代的なひらがな「おたく」の特徴ともいえるだろう。そして、その構造的ルーツが、パソコンの世界にあることは、間違いない。


(09/02/13)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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