昔は良かった?





「昔はよかった」と、ノスタルジアに浸る。これは、豊かな人生経験を持つものの特権である。そして、人間特有の習性でもある。しかし、昔はよかったかもしれないが、その時代に戻ることもできないし、その時代の価値観を今の時代に押し付けることもできない。ここで大事なのは、昔へのノスタルジーを、今の時代と切り離して考えることである。だが、これができないヒトが多いのだ。というより、歳をとればとるほどアタマが堅くなり、過去と現実の区別がつかなってしまう。

思い出の中では、いいコト、きれいなコトばかりが残りがちである。たとえば、昔の日本人は勤勉だった。マジメだったとか、日本の社会は治安が良かったとかいうのは、その典型例だろう。勤勉な人、マジメな人が目立ったし、カギをかけない(ついていない)家も多かったのは確かだ。だが、その前に日本の社会は、なにより貧しかったし、汚かった。こっちのほうが、より普遍的な状況だったはずなのだが、どうやらこういう「暗い」事実は、記憶から蒸発してしまうらしい。

昨今、昭和レトロがブームだ。筆者も、蒸気機関車が現役だった時代のジオラマとかを作っている手前、その端っこに加担しているといえなくもない。やはり、それは「その時代」をリアルタイムで知っているからこそ、湧きあがってくるノスタルジーがベースになっている。確かに、子供心ではあるものの、オリンピック前、東京タワーが立ち、首都高速が出来上がってゆく時代の空気は、リアルタイムで吸っているし、その時代の記憶を持っている。

それでは、その頃の「暗い」ほうの記憶を、あえて呼び起こしてみよう。まず思い出すのは、都会には恐い「人外魔境」があったことだ。これは、戦前から続く、昭和前半の都市文化の裏面といえるだろう。だから、怪人二十面相シリーズのようなストーリーが成り立った。実際、当時の言い方でいえば「女子供」が無防備に歩けない地域もあった。最近の、心優しきホームレスの方々ではなく、完全に犯罪予備軍であった路上生活者も多かった。

昭和も30年代になると、繁華街のメインストリートこそ、きれいに取り繕っていたものの、その裏側や場末は、汚く臭いエリアが広がっていた。生ゴミも、街角の「共同ゴミ入れ」に投げ込み、無蓋の大八車がそれを回収していた。都会でも、水洗便所は限られており、住宅地では、未舗装の「砂利道」もまだまだ多く、そこを東京都のマークをつけたバキュームカーが毎日のように走り回っていた。そんな埃や汚れ、危険な裏風景まで、全部含めて昭和の実態なのだ。

「昔の日本人」は、そういう時代を生きていた人々なのだ。自分の周りは、勤勉な人が多く、治安がよかったかもしれないが、決してそうではない、犯罪の巣窟となったスラム的エリアもあった。過去を評価するなら、そこまで含めて客観的に評価すべきである。ノスタルジアは、他人に押し付けるものではなく、自分の心の中にとどめておくべきだ。もし、昔はよかったといいたいのなら、それは、昔の階級社会がよかったということにほかならないだろう。

余裕のある階層は、オピニオンリーダーとなり、みんなが目指すべき理想の生活を体現する。それに対し、大多数の貧しい大衆は、今日の糧にありつくコトが精一杯で、余裕がなく、その理想は夢のまた夢。悪いこと、ズルすること以前に、喰いっぷちを何とかしなくては、生きてゆけないのだ。まあ、結果論としては「清貧」にしか生きられない、そうしなくては喰って行けないヒトが多かったのは確かだし、それをもって「理想」とするならば、説得力がないでもない。

現状を現状として認め、それを前提にどうしたらいいか考える。これが基本である。どんな調査でもいいから、実査してみれば、「マジメにしていれば世の中なんとかなる」と思っている人が極少数になっていることぐらい、すぐわかるだろう。これは事実であり、どうしようもない。個人的に、その事実に対して感想を持つのは自由である。しかし、それを倫理的観点からどうこういういったところで、事実は変わらないのだ。

マジメでないのがデフォルトになったら、それを前提にして、社会をどう組み立てていけばウマく回るか、どういうルールを作れば問題が解決するか考えるべきである。覆水盆に帰らず。現実の状況を前にしては、それを受け入れる以外術はない。それが自分にとって望ましくない事実でも、受け入れなくては前へは進めない。理想があるなら、すべきことは、それを声高に主張することではなく、現実とどう折り合いをつけて、次善の策を講じるかなのだ。


(09/03/06)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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