アタマ隠して尻隠さず





アメリカで、公的資金投入が行われたAIGの役員たちが、多額の役員賞与を得ていたことが問題になっている。緊急に必要だった資金は、事業や顧客のためではなく、自分達の「お手盛り」ためのモノだったのだ。その分は、そもそも経営責任としてカットすれば済む費用であり、まさに税金の無駄遣いとして追求されている。しかし、「お手盛り」で「税金の無駄遣い」といえば、どこかで聞いたことがあるキーワードだ。

そもそも、サブプライムローンの破綻にはじまる経済危機が、日本人にとっては、バブル崩壊以降の流れのようで、どこかで聞き覚えのある経験だった。偶然の一致とは面白いもので、「お手盛り」「税金の無駄遣い」といえば、これもまたその権化ともいえる存在が日本にある。ためしに、この二つのキーワードでインターネット検索をかければ、出るは出るは、その所業の数々。もちろんいわずと知れた、霞ヶ関の主、日本の高級官僚である。

官僚たちのこの悪癖は、モラルハザードという以前に、この2〜30年間に限っていうなら、確信犯といったほうがいいだろう。明治や昭和戦前の官僚は、今や歴史資料でしか検証できないのでなんともいえないが、少なくとも、今生きているヒトたちが、記憶の中でたどれる範囲においては、そういうウマい汁を吸いたいヒトたちが、就職先として官僚を選んでいた人々の中核をなしていたことは確かだ。そして、今、現役官僚のほとんどが、その範疇に入ってしまう。

全ての利権は、自分の利益のために。これこそが、日本の官僚のモチベーションの基本である。タテマエとしては、国民のためとか、国益のため、とか、いろいろ屁理屈はついている。しかし、それは後付けの言い訳でしかないのは明らかだ。世界的に問題になっているテーマについて、規制や許認可を行う場合もあるが、その場合でも、必ずその中にウマく自分達の利益をモグりこませている。いや、自分達の利益と結び付けられるから、そのテーマを取り上げるといったほうがいいだろう。

食の安全でもそうである。福祉や介護でもそうである。百歩譲って、確かに何らかの基準や審査が必要な場合があるかもしれないが、そのために新たに「公益法人」を設立し、そこに天下りポストを確保するとともに、そこに天下った人間のフトコロを暖めるべく、審査料、登録料といった名目で、民間から金を巻き上げる。審査と判断だけなら、すでにある似たような団体がやってもいいし、基準だけ決めて民間でやってもいい。事実、インターネットのドメイン管理など、一切官が絡んでなくても、何も問題はおきていない。

もっといえば、本当に国民や国家のことを考えて許認可を行うのなら、審査判断の費用こそ、税金からまかなうことで、民間の負担がない形で導入すべきものであり、そのコストを市場に負担させるほうが言語道断なのだ。ここからも、官僚がどこを向いて仕事をしているかがよくわかる。とにかく、新しい許認可権こそ、「お手盛り」を増額し、「税金の無駄遣い」を増大させるための、最も有効な手段なのだ。

官というと、官の周辺で行われる「談合」もおなじみである。公共事業での談合が問題になっても、取り締まられるのは、ほとんどの場合民間の業者のほうである。だが、その本質はもっと違うところにある。そもそも官僚たちがお手盛りをやっているからこそ、周りの民間業者もそのおこぼれに預かろうとして、談合を行うことになる。談合により、入札額が水増しされるのは確かだが、官僚たちのお手盛り分に比べれば、大したコトはない。

だからこそ、官僚自身も、談合規制には賛成するのだ。小悪をあばくことで、自分達の大悪から目をそらさせる。これを解決するには、官庁とその周辺の金の動きを、全てディスクローズすればいい。実は、官庁には年度毎の予算制度という、スタティックな財務管理システムしかないので、企業の会計のようなダイナミックな財務管理には結構弱い。というより、その部分はほとんど把握していない。

だから、スタティックな部分は周到にカムフラージュしているが、ダイナミックな金の動きを把握すれば、その悪事はかなりくっきり見えてくる。もちろん、官僚自身がそんなことをするワケがないので、外圧が必要になる。それは、政治と外交圧力に他ならない。これが本当に動き出したら、日本の改革は早いだろう。なにせ、アタマ隠して尻隠さず状態なのだから。「そっちから覗かれるとは思ってなかった」側から見さえすれば、答えは一発だ。


(09/03/27)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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