メタボな社会





人間でも動物でも、高等なものほど、その成長はリニアではない。すなわち一個体の生涯を見ると、日々ハード的な成長が続くフェーズと、限界到達点に達してからの、ハード的成長が止まった(ソフト的な成長は続くが)フェーズとが明らかに分かれている。人間や哺乳類でいえば、成長が続く時期が「子供」であり、成長が止まった時期が「大人」である。

ゾウやクジラといったガタイの大きい生物では、子供の時期、とくに生まれて間もない時期の成長速度は極めて大きい。みるみる大きくなってゆく。その成長スピードを一生の間キープしたら、それこそウルトラシリーズに登場する怪獣ぐらいの大きさになってしまうだろう。しかし、そんなことはない。成長し切った大きさは決まっており、そこに向かって成長は収束するからだ。

ある意味、この二つのフェーズがあることが、「成長」の本質である。本来あるべき姿になってからは、ハード的な変化が少なく安定的に推移する。その先、衰退期はあるだろうが、少なくともこの安定的な時期をいかに長らえるかが、その個体の生涯での収支を極大化するカギとなる。早く成長し、衰退をなるべく遅らせる。これがポイントである。

さて、中には「大人」になってからも、物理的に成長し続けるヒトがいる。身長が伸びるというのは難しいが、こと体重については、限界がないかのごとく拡大し続けているヒトも多い。要は、メタボである。しかし、これは周知のように、百害あって一益ない。体重が増えれば増えるほど、体に対する負担は増加し、あとは早死にが待っているだけだ。成長し続けることは、決して生涯収支の極大化にはつながらないのだ。

このようなフェーズは、何も生物だけに限らない。生物と同様の、有機的な組織体の所作については、同様に捉えることができる。たとえば、どのマーケティングの教科書にも載っている「商品ライフサイクル」を考えてみよう。商品が新発売されてからディスコンになるまでを、導入期・成長期・成熟期・衰退期の4つのフェーズにわけて考える手法である。これなど、商品マーケットの変化を、あたかも生物の生涯と同様に捉えたものといえる。

導入期は、いわば妊娠中である。そして、成長期が子供のフェーズだ。以下、成熟期が成人、衰退期が老人というワケである。成長期は、高い利益率が得られるが、長くは続かない。そこで、商品ライフサイクルマネジメントにより、成熟期をいかに安定的かつ長期的なモノとするかが、その商品の寿命全体を通じて得られる収益を極大化するためのカギとなる。一個人で考えれば、就業期間が長いほど、生涯賃金が高くなるようなものだ。

すなわち、人間社会の活動においても、成長とは未来永劫長期的に持続するものではない。本来の到達点に至るまでのプロセスなのだ。そして、その活動の成果を極大化するための鍵は、成長の持続ではなく、素早い成長を遂げた後、直ちに安定期に移行し、そのレベルをなるべく長くキープして衰退させないことにある。大事なのは、成長を続けることではなく、安定をキープして衰退させないことなのだ。

当然、商品がそうなのだから、この法則は、企業や国家の経済活動についても成り立つ。大事なのは、成長ではなく、安定のキープ。成長を続ければ、いわばメタボ企業、メタボ国家になり、死期を早めるだけである。20世紀までの産業社会は、人類社会が「子供」の時期だったのだ。そして、いまや「大人」のフェーズへと進んでいる。成長が止まっても、恐れることはない。それは、大人になったという、いい知らせなのだから。大人の生きかたを選べばいいだけのことなのだ。


(09/06/05)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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