「よさこいソーラン」化





東京都議会議員選挙は、前評判通り、民主党の圧勝となった。このところ、選挙では雪崩を打つような圧勝パターンが多い。ジャーナリズムによる事後の解説では、もっともらしく理由が語られる。しかし、どれも古色蒼然とした分析で当を得ていない。それは、未だに有権者が政策で候補者や政党を選んでいることを前提にしているからだ。

そもそも、今の生活者は、理性でモノを判断しない。好き、嫌い。楽しい、楽しくない。面白い、面白くない。全ての判断基準は、そういう内面の感情である。好きなモノ、楽しいモノ、おもしろいモノしか選ばない。商品やライフスタイルはもちろん、選挙の候補者だってそうなのだ。面白ければ、選挙にいって投票するが、つまらなければ、投票すらしない。

選挙での競争相手は、対立候補ではなく、時間つぶしになる全ての行動なのだ。それより面白く、ワクワクするモノがあれば、投票する。それだけのコトである。人々を動かせるだけの面白さがあるか。あれば、人々は投票に行く。そういう意味では、今回の選挙は、ワクワクするお祭り的な要素があった。それは、投票率が10ポイント以上上がったことが何よりも如実に示している。

そういう意味では、政権交代というのは、イベントとしてとても面白い。交代した民主党の政権に何かを期待するのではない。自民党でも民主党でも、政治そのものが大同小異なのは、みんなわかっている。それではなくて、なかなかみることのできない政権交代を見れるかどうかが大事なのだ。これは、オリンピックで世界記録が出るとワクワクするのとよく似ている。

だから、イデオロギー的に捉えようとしても捉えられない。そういう発想をするヒトたちが「無党派」なのだ。思想的にはどういうものでも、彼ら・彼女らは、おもしろいモノでありさえすれば、ドッとくりだしてくる。これは、「炎上」の原理とよく似ている。燃え上がりだしたら、火事は大きく激しい炎のほうがエキサイトする。だから、みんなで油を注いでうちわで扇ぐ。

内容はどうだっていい。そもそも自分の思想信条がないのだから、内容で炎上するわけではない。なんだか知らないが、その場がエキサイティングで楽しいから、もっともっと燃え上がれと思うし、自分でも参加する。だから、みんなで寄ってたかって叩きやすいものほど「炎上」しやすい。実にシンプルな、「祭り」の原理である。突き詰めれば、「よさこいソーラン」なのだ。

これは「行列があると、並びたくなってしまう」のとも同じコト。話題になって盛り上がっているところには、自分も入り込みたい。盛り上がりだすと、「バスに乗り遅れるな」という心理が働きだす。「勝ち馬に乗ろう」と言い換えてもいい。勝ち馬に乗る分には、なにをやっても怒られることはないし、あわよくば何かおいしいおすそ分けにあずかれるかもしれない。

外したくない、スカを引きたくない、という心理は、若い層ほど強烈である。彼ら、彼女らにとっては、人生は「椅子取りゲーム」化している。負けたら最後、サドゥンデスで後がない。失敗は許されないのだ。その分、リスクに対して敏感になり、リスク回避の意識が一段と高くなる。だからこそ、外れのない勝ち馬には、一層人々が集まってくる。

まさに、自民党、麻生総理、永田町の官僚機構が、叩きに叩かれて、苦境に入るのが面白いのだ。みんなが期待しているのも、ここである。この構造は、「小泉劇場」で、郵政民営化に反対する守旧派が叩かれるのが面白いというのと、全く同じ発想だ。今の生活者は、これでしか動かない。この原理に気付かない限り、政治は民心からどんどん離れていくだけだ。



(09/07/17)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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