砂上の楼閣





ある意味、今問われている選択は、20世紀後半の日本において脈々と続いてきた、官主導による所得の再分配、すなわち公共事業は是か非か、という判断である。国の税金として多くを取りたて、それを官の権限で再分配するシステムは、戦時体制下の、いわゆる「40年体制」の確立とともに成立した。したがって、今の日本人のほとんどが、このような「大きな政府」の元で育ってきたことになる。

だからこそ、それとは異なるスキームの政府を、実感としてイメージすることは難しい。これが人々の無関心をよび、行政機能のブラックボックス化を生み出すとともに、「官」が跋扈する原因となった。明治維新以降の日本の歴史を見るならば、「官主導の大きな政府」が常に主導的な役割を持っていたワケではない。それどころか、40年体制が成立する前の日本は、決して戦後のような意味での「大きい政府」だったワケでないことに気付くだろう。

まだ19世紀の、明治時代の初期から中期。この時代においては、そもそも近代産業がテイクオフを始める時期であり、GDPレベルでの経済力そのものが、当時の近代国家としては、まだまだ「ヨチヨチ歩き」の段階であった。その上、近代的な租税制度も、新たに構築しつつある状態にあり、充分機能していたとは言い難い。したがって国家財政も、そもそもの金が少ない上に、集める手立ても確立していないという、極めて厳しい状況にあった。政府は資金がなく、汲々としていたのだ。

国家予算は、国家戦略上の重点目標として、ほぼ軍備と鉄道網の整備に当てられたが、それとて充分ではなかった。軍備も、予算に占める比率こそ高かったものの、必要とされた計画を充当するには不足していた。鉄道網も、官営路線は東海道本線など限られた線区のみであり、主要幹線もその多くは、のちの山陽本線を建設した山陽鉄道、東北本線を建設した日本鉄道など、まず民間資本により整備が行われた。これらの路線を買収し、国営になったのは、20世紀に入り、経済成長とともに国家の税収が安定してからである。

では、道路や教育も含めて、社会資本、社会インフラの整備がどうやって行われたのか。それは決して、政府主導、官主導で行ったものではない。それらは地域主導、それも篤志家とよばれた、地元のブルジョワジーのボランティア的な事業として(間接的には殖産投資であるが)行われたのだ。この時点では、「40年体制下」のように「官」が立ち入る余地は少ない。実際、当時の教育は、決して画一的ではなく、地域ごとの多様な特色が現れたものだった。当時の大地主が金を出して作った学校や道路は、今でも日本のそこかしこで見ることができる。

この時点の日本社会は、江戸時代に起こった経済発展をベースとした近代社会である。そして、江戸時代の日本は、生活・文化といった面では、決して画一的ではなく、各藩ごとの特色が強く現れていた。また、まだ有産階級と無産階級とに歴然とした差異が存在した階級社会であったことも、江戸時代以来の「藩=クニ」という分権性を残す要因となった。この傾向は、当時イギリスやドイツといったヨーロッパの階級社会に社会システムの範を求めたことからも、さらに強調されることとなった。

しかし、20世紀に入るとともに、日本においても大衆社会が成立し始める。40年体制と呼ばれる官僚支配は、政治行政における完全な大衆社会化の実現である。これが達成されるまで、20世紀前半の40年間は、両者が対立し、並存していた期間である。まさに、無産政党と軍部とが同じように、反ブルジョワジー的な大衆運動をベースとしていたことが象徴的である。税金で召し上げ、官の権限で再配分するというやり方は、実は経済的には小さな政府であった、19世紀的な明治政府に対するアンチテーゼとして登場したものである。

売上主義、シェア主義できた日本企業は、売上高にコダわる余り、一旦売上を計上してから、販促費として値下分を計上することで、実際には「値引き」であるにもかかわらず、見せ掛けの売上高の大きさを維持する、「日本的経営」にコダわってきた。そこに、本来なら必要ない「見せ掛けの経費」が生まれ、その分、営業・販売に関連して、本来なら必要ない「見せ掛けの人件費・営業費」を発生させてきた。これが、日本企業のホワイトカラーの生産性が低い理由である。

同様に、各地域の経済力・生産力に従ったカタチで、各地域の社会資本、社会インフラ関連投資を、地元ベースで行えば済むモノを、国税収入というカタチで、見掛け上のカサだけを大きくしたがゆえに、本来なら必要ない公共事業に折角の血税が投下されるとともに、官僚の人件費や許認可権限といった「ムダ」まで生み出す結果となった。国家予算の規模がデカくなるからこそ、こういう無用の経費をあちこちに生み出す結果となるのだ。

昨今、地方分権、権限委譲が叫ばれている。その意味はまさに、こういう官主導の経済につきものの「上げ底」をなくすことにある。国税で集めて再分配するより、地方で再分配するほうが効率的である。さらに、行政が介在して再分配するより、最初から民間ベースでの再分配を行ったほうが、もっと効率的である。昨今は、民間企業こそ、CSRやサステナビリティーの重要性を深く認識している。企業自身が、地域に密着した篤志家となることこそ、最大のCSRであるということができる。もともと、日本はそうやってきた国だったのだ。少なくとも、明治憲政期にはそれができていた。やればできるのだ。


(09/08/28)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる