「貧困率」





長妻厚生労働相が10月20日に記者会見で公表して以来、「貧困率」がハヤりコトバとなっている。長妻大臣のコメントでは、国民の15.7%が、国内の平均的な所得水準を大きく下回る“貧困層”であることになってしまったが、これはOECDの定義する「相対的貧困率」がどういうものかを理解していないだけでなく、その統計数字の持っている意味も正しく理解していない。それをさらに勘違いして記事にしてしまう新聞記者に至っては、もう何をかいわんやである。

OECDによる「相対的貧困率」の定義は、年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合である。これはこれで、ある種の指標として意味はあるが、それにはかなり高度な解釈を必要とする代物である。単に、貧困層がどのくらいいるかという指標ではない。そもそも、そういう量的な指標ではない。それより、その国における所得配分のあり方や、所得分布の構造的特徴を指し示す指標であるといったほうがいいだろう。

ポイントは、閾値が「中央値の半分」というところにある。平均値ではないのだ。これが「平均値の半分」ならば、量的指標として捉えることができるだろう。中央値(メジアン)というのは、統計で使われる値ではあるが、一般生活ではほとんど縁のない数字である。その中央値を使った「相対的貧困率」が、いかに実生活とかけ離れたものか、極端な例をあげて考えてみよう。簡単化するために、人口が101人の国を考えてみよう。

まず、第一の場合。これをA国としよう。101人のうち、年間所得が1億のヒトが50人いたが、あとの51人は100万しかなかったとする。この場合、中央値は上から51番目の人なので、100万である。その半分は50万。50万以下の人は存在しないから、貧困率は「0」である。この場合の平均値は、5001万なので、平均値以下の所得の人が国民の50.5%を占めることになる。実質的な貧富の差は極めて激しい状態である。

次に、第二の場合。これをB国としよう。101人のうち、年間所得が1億のヒトが51人いたが、あとの50人は100万しかなかったとする。この場合、中央値は上から51番目の人なので、一億である。その半分は5000万。こうなると、101人中51人が「中央値の半分以下」ということになる。すなわち、貧困率は「50.5」となる。しかし、平均値は5100万。平均値以下の所得の人の割合は49.5%。実質的な貧富の差は、A国もB国も変わらない。

A国とB国で、違いがあるといえばあるが、一般的な実感は平均値をベースとしたものの方に近いだろう。あえて「相対的貧困率」を解釈すれば、少数の高所得者はどうでもよく、中所得者の所得水準が低く数も少なくて、低所得者の差が小さい国ほど小さくなり、中所得者の所得が比較的高く数も多いため、低所得者との差がハッキリしている国ほど大きくなることになる。「相対的貧困率」は、そういう構造の違いを浮き彫りにする指標でしかない。

日本の数値を、過去数値との比較で語るのは、それなりに意味がある分析とはいえる。確かに「相対的貧困率」は上昇しているが、これは巷間よく語られている、「賃金デフレ」「下流化」を示しているに他ならない。概して統計数字とは、こういう難しさを持っている。統計のことがわかっているヒトが読み解くなら、それなりに意味がある数字でも、素人が「○○率」みたいな名前だけを頼りに、イメージで解釈しようとするととんでもないことになる。

さて厚生労働省、その中でも旧厚生省といえば、巨悪並み居る霞ヶ関官僚の中でも、ひときわ悪名高き「医系技官」の巣窟である。一般の人が医学というと、通常接する病院のお医者さんのような「臨床」を想起しやすいが、アカデミックな医学の世界は、そういう職人芸的な世界とは違うところにある。そして医学の学者は、実は統計のプロなのだ。医学と統計とは、密接な関係がある。

それは、新薬の治験でも、新しい治療法でも、その有効性の確認は、すべて結果が統計的な処理によって判断されるからだ。そのクスリを投与された患者のグループと、投与されなかったりプラシーボと呼ばれる「偽薬」を投与された患者のグループとを比較し、治癒率に統計的に優位な差があれば、そのクスリは有効だった、と判断されるわけである。そういう意味では、統計学に熟達していなくては医学者は務まらないのだ。

薬や治療法を保険の対象にするかどうかが、かつての厚生利権の柱の一つだったことを考えれば、医系技官が統計学に熟達していたであろうことは、容易に想像つく。その薬が有効かどうか判断する根拠が、まさに統計の知識に基づくものだからである。統計学の造詣が深ければ、一般の人を統計数字でダマすことは容易である。統計の知識のある人間がでっち上げた「悪意のあるウソ統計」を見破るには、それを詐った人間以上の統計学の知識が必要になる。

このような構造をベースに考えると、統計に弱い長妻大臣が厚生省担当というのは、いかにも心細い。もしかすると、今回の「貧困率」も、厚生労働省の官僚たちが、お手並み拝見という感じで繰り出してきたジャブかもしれない。新聞等のジャーナリストも、数学系のセンスはからっきしダメというタイプが多く、コロッとダマされるだろう。なにより国民一人一人が、官僚達がでっち上げる「統計のウソ」を見抜くチェックをすることが必要だ。

もっとも鳩山総理は、これまた統計が必須なオペレーションズ・リサーチの専門家で、大学の先生までやったヒトである。管副総理も、応用物理専攻だったので、大学レベルの数学は充分マスターしているはずだ。かつての自民党の代議士のような政治家なら、統計のウソでダマせても、このコンビはダマせないであろう。理系出身者がトップというのは、このような面では、心強いではないか。官僚の数字のウソにダマされないよう、健闘を期待したいものである。


(09/10/16)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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