産業立国





いまや、世界の中で日本が担うべき役割は「製造業」という時代ではない。世界的に見れば、製造業は、賃金が安く、経済がテイク・オフ期を迎えた発展途上のある国にこそふさわしい。そして日本は、世界経済的には、すでに成熟した国なのだ。これではまるで、全盛期を過ぎたのに、見苦しく現役にコダわるスポーツ選手のようだ。自分の実際の実力と、果たすべき役割を客観的に知る必要がある。

確かに、中には「生涯一選手」として、ベテランなりの活躍をする人もいる。しかし、そうできる選手は少数だ。現役プレイヤーであることにコダわる選手は、引退時期を逸し、末節を汚してやめることになるほうが多い。自分の実力を客観的に捉えていれば、おのずと「引き際」をわきまえることができる。そうでないからこそ、タイミングをつかめず、ズルズルと現役を続けることになる。

まあ、スポーツ選手ならば、まだやれるか、もうやれないかという判断は、コーチなり監督なり第三者が、客観的に判断することもできる。だが、それがないのが、一般の組織である。体力的に時代について行けなくなっても、本人がプレイヤーであることをやめたいといわない限り、基本的には定年まで続けられてしまう。さらに企業では、生活のために続けたいという、ヨコシマな動機も入ってきてしまう。

かくして企業社会では、自分の実力を客観的に判断して、やるべき作業内容を選ぶ、という発想が失われることになる。かつて「企業の寿命は30年」といわれたことがあるが、今や「ビジネスモデルの寿命は10年」だ。今隆盛を誇っているビジネスが、今後も繁栄する保証はない。それどころか、隆盛の後には衰退しかないのが現実である。ビジネスこそ、引き際が大切なのに、日本の企業にはその発想がない。

そもそも、高度成長にしたところで、戦略的に企業が成長したのではない。冷戦構造や、政治的な円ドルレート、技術レベルのワリに低い水準の賃金、アメリカの産業構造の転換といった好条件がピタリとハマったところに、ウマくチャンスを生かして波に乗っただけである。戦術的には、それなりに狙ったところもあるだろうが、戦略的に自ら創りだした成長でないことだけは確かだ。

基点自体が、このように極めて創発的なものだったがゆえに、今度は降りるタイミングを逸することになる。公害問題、ドルショック・オイルショック、円高不況、バブル崩壊と、十年周期で日本経済を襲ったピンチ。それに対し、一部の日本企業は、抜本的な構造改革で対応し、グローバル化を果たしたが、多くの日本企業は、古いビジネスモデルをなんとか延命させることで、四苦八苦しながら乗り切ってきた。

それは、そもそも無理な延命策だったのだ。だが、多くの日本企業も、多くの日本人も、世界経済の中における日本の位置付けが変わっていることに気付かない。「モノづくり」「モノづくり」と、バカの一つ覚えのように叫ぶ人がいる。それは、そのヒトたちが、「モノづくり」しかできないからである。もっというと、「モノづくり」しかできないと思い込んでいるからだ。

そういうバカの一つ覚えではなく、時代の変化に即した対応を図らなくてはいけない。構造改革とは、そういうことなのだ。日本は、決して「モノづくり」だけでしかアイデンティティーを発揮できないような、ちゃちな国ではない。新たな成功を手に入れるには、成功体験を捨てなくてはいけない。一度構造改革を成功させれば、次からは、その経験を生かして、いくらでも構造改革ができるようになる。永遠の成功を手に入れるためのカギは、ここにしかないのだ。


(09/11/27)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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