大衆の掟





いまだに、マスメディアが世論に影響すると思っているヒトがいる、ということは驚きだ。影響力があって欲しい、と願うことが自由だが、事実は事実で曲げようがない。マスメディアが何か言ったからといって、人々が直ちにそれに影響されることなど、今の日本ではあり得ない。人々が思っていること、願っていることを、マスメディアが代弁するコトによって広まることはある。しかし、それは影響力ではない。

そもそも、メディアの影響力をそんなに過大評価することこそ、「中のヒト」からすると、買いかぶりである。ここでもすでに何度も語ったが、そんなに影響力があるのなら、オンエアした番組は必ずヒットするだろう。そうだとウレしいが、世の中にはポシャって途中打ち切り、死屍類類の番組のほうが多いのは、まぎれもない事実だ。だからこそ、ヒットし続ける「長寿番組」は、それ自体貴重な存在だ。

そういう意味では、どんなにマスメディアががんばったところで、視聴者を誘導することはできない。視聴者が面白いと思わない番組では、そもそも見てもらえない。口に合わない番組では、視聴者はチャンネルを変えるか、スイッチを切るだろう。ちょっと間が持たないだけでも、スグにザッピングされてしまうのが、今の日本のテレビの真実だ。見てもらえない番組が、影響力など持つワケがない。

ヒットのためにできるのは、視聴者にあわせた番組、視聴者が好む番組を作ることだ。実際の番組作りでは、視聴者にウケそうなネタを拾い起こし、それを面白おかしく見せるよう、日夜努力している。番組とは、大衆に「見ていただいて」ナンボのものなのだ。見るか見ないかを選ぶ権利は、視聴者の側にある。そして、内容をどう思うかも、ひとえに視聴者にかかっている。

昨今、中央紙が赤字化するなど新聞が危機的状況なのは、こういう「生活者に合わせる」発想がなく、超然として自分の意見を主張する態度が、人々から嫌われているからだ。自分が面白いと思うニュース、自分が興味のあるニュースを、自分が楽しめる切り口で語ってくれるモノしか見たくない。こういう態度が基本になっている生活者に対しては、マスメディアの影響力などほとんど考えられない。

団塊世代など、60代以上のヒトにとっては、「世間」のありようを基準に自分のナリ・フリを考えるという行動パターンができているので、確かにその傾向はある。それは、「世の中の情報」が得られなかった時代に育ったからだ。高度成長期までは、庶民の生活パターンは、「戦前」が脈々と続いていた。基本的に身の回りのことしか知りえない。それが「世間」であり、それ以上の世界は、口コミで伝わる範囲が限界であった。

そんな中で「世間」を越えた世の中を知るためには、新聞・ラジオに代表されるマスメディアが、唯一のチャネルだった。したがって、そういう時代に育ったヒトたちは、マスメディアの言うことを世の中のリファレンスとし、それに従って、自分の生きかたを定める癖がついている。しかし、いわゆる「新人類」と呼ばれた昭和30年代生まれ以降の世代では、全く構造が違う。

高度成長とともに、日本社会の情報化が進み、「世の中」のコトを知るためのチャネルがいくつもできた。同時に、「世の中」がどうなっているのかという情報も、そこらじゅうにあふれ出した。こうなると、マスメディアの御利益は薄くなる。さらに、自分の生きざまも、「世間」のような外的なものを基準にするのではなく、自分自身が好きか嫌いか、楽しいか楽しくないかという、内面的な基準で選ぶようになった。

こうなると、団塊世代以上のヒトたちのように、「下から目線」でマスメディアを「拝む」ことはなくなる。「上から目線」でエラそうに天下国家を論じる中央紙が、そっぽを向かれて読まれないのも当たり前だ。メディアに対しては、せいぜい自分と同類という「横から目線」、あるいは「おバカ芸人」がウケていることからもわかるように、視聴者の側が「上から目線」で見るようになったのだ。

この問題に関しては、「政・官・学」の方々が、特に勘違いをしているコトが多い。こういう方々は、「上から目線」で大衆を見る傾向があるので、マスメディアが影響力を持っていて欲しいという願望も含めてそう考えているのだろうが、そろそろ改めていただきたいモノだ。特に、こういう人々が法制度の設計にかかわることが多いだけに、勘違いをしたままだと、巨大な無駄遣いをすることになりかねない。

ある意味、これは政治そのものにも言える。今世紀に入ってからの日本の政治は、面白いか、楽しいかだけで動いている。「刺客」の小泉劇場が面白ければそれに投票し、「政権交代」が面白そうと思えば、それに投票する。今政治を動かしているのは、政策ではないし、利権でもない。モチベーションとなるのは、それが「ネタとしてもてあそべるかどうか」だけである。これもまた、「上から目線」が勘違いを招いているいい例だ。今の日本の大衆には、上から目線は通じない。この掟を忘れてはならない。


(10/04/23)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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