若者に不幸になって欲しいヒト





この数年、日本には「若者に不幸になって欲しいヒト」がけっこう多い。こういう社会状況の中で、若者が不幸でなかったりすると、今までの主義主張とか、自分達の利権とかが否定されてしまい、立つ瀬がなくなる人たちだ。こういうヒトたちが声高に主張しているせいで、なんだかほんとに若者が不幸な気になってしまうのだが、当の若者たちは、文字通り他人事といわんばかりに、それほど不幸なようにも見えない。

「派遣切り」とか、雇用状況のキビしさに直面している人もいるにはいるが、「支援者」がサワぐほどには、当事者にとってはダメージとはなっていない。だから、ホームレスのヒトとかを集めて「派遣村」みたいなヤラセまでしなくてはならない。実は、大企業の求人こそ競争が激しいが、日本全体の求人ニーズは、求職者数を上回っている。選り好みしなければ仕事はあるのだ。

そして、契約延長されなかったり、解雇されたりした期間工や派遣労働者が、恨みを晴らすべく殺人などの大事件を起こすと、こういう「若者に不幸になって欲しいヒト」たちは、鬼の首でも取ったように歓喜の雄叫びを上げる。まるでこういうヒトたちが、「派遣村」同様、裏で焚きつけて事件を起こさせているかのようだ。しかし、犬人が犬を噛む話と同様、実際に殺人に及ぶヒトはマレなので、ニュースになるコトを忘れてはならない。

仕事を失っても、変な事件など起こさずに、マジメに暮らしている人のほうが、圧倒的に多数である。というより、そっちが当たり前であり、事件を起こす人が極めて例外的なのだ。失業者が皆殺人鬼になってしまうような世の中など、おそろしくてとても生活ができない。そもそも社会として成り立たない。そんな何万人にひとりという例外をもって、声高に全体を主張することの方が余程狂っている。

実際に調査しても、現状に満足している若者のほうが圧倒的に多いことはよくわかる。それが、日本の若者の実態なのだ。年収は低くても、地元の友達と仲良く、つつましく生きられれば、それで幸せ。そういう若者が過半数である。だから、現状に不満があるにしても、その原因は経済状況や暮らし向きではなく、友人や家族、コミュニティーなどの人間関係の方が余程深刻な問題となっている。

経済状況で自殺するのは、リストラや倒産で、今までの暮らし向きを維持できなくなった中高年がほとんどだ。若者の自殺は、イジメなど、人間関係に基づくものが中心になっている。ワリがいいか悪いか、楽かキビしいかという違いこそあれ、選り好みせずに働けば、仕事はあるし、それで貰える実入りがあれば、少なくとも餓死することはない。今の日本の実態は、そういうレベルである。世界的には、決して悲観するものではない。

結局、若者に不幸になって欲しいヒトは、若者のことを考えているのでも、若者の味方をしているのでもない。自分たちの既得権を奪われたくないし、あわよくば拡大したい、と思っているだけだ。すなわち、社会的なセーフネットが厚くなれば厚くなるほど、おいしい思いをするヒトたち。彼らは、そのダシとして不幸な若者を必要としているのであり、若者は利用されているだけなのだ。

言いかたを変えれば、利権社会にどっぷり浸っているヒトが、若者が不幸であってほしいと願っているのだ。社会主義的な「40年体制」下では、自分が努力するより、官僚たちが行う「バラマキ」の分け前に預かる方が余程おいしい。官僚たちのバラマキは、一義的には自分達がおいしい思いをすることにあるが、当然、そのおこぼれが生じる。また、自分達の裁量下の税金に基づく予算だけでなく、許認可利権を大きくし、自分達の回りで「民」のお金もコントロールできるほうが、利権は大きくなる。

当然、官僚には「家来の民間人」がまとわりつくことになる。この典型が、万年与党と万年野党が利権を軸にもたれあい、互いにおいしい思いを分け合う55年体制におけるかつての「革新政党」の流れを汲、共産党、社民党といったヒトたちだ。彼らは社会を良くするのではなく、利権をより大きくし、自分達もその恩恵にあずかること。あわよくば、その分配の利権を自分達が手に入れることがモチベーションとなっていた。

彼らの支持基盤である「労働組合」が、既得権擁護の超守旧派団体であることを考えれば、すぐわかる。大企業を悪者にし、官の正義を立てるところも、同じアナのムジナである。公正で、平等な社会を目指すのであれば、利権と天下りという自分達の役得しか考えない官僚より、社会的責任やサステナビリティがグローベルレベルで問われる大企業のほうが、余程貢献度が高い。しかし、それでは利権が生まれない。

結局、自助努力ではなく、寄らば大樹の陰で甘い汁を吸おうというヒトたちが、そのホンネを悟られないように公正性や社会性という偽装に用いやすいのが、社会運動とか、慈善運動とかいった、「弱者の味方」という錦の御旗である。弱者が存在しない世の中になると、彼らは困ってしまう。だから、若者には不幸であって欲しいと願うのだ。もはやすがる大樹も、吸うべき甘い汁もない世の中になったというのに。


(10/07/09)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる