日本のまん中





三浦展氏が提唱した「ファスト風土」というコンセプトがある。ファストフードに代表される、ロードサイドに展開するフランチャイズ店やチェーン店が、全国どこにいっても画一化された、同じ景色・同じ風土を生み出すことを揶揄したネーミングである。これに、全国ネットのテレビや、全国どこからでもアクセス可能なインターネット等の情報環境の均一化が加わり、日本中どこを切っても均質化し、金太郎飴になってしまったコトを嘆く。

三浦氏は、昭和30年代初めの新潟の生まれである。彼はまさに、同郷の田中角栄首相が、「日本列島改造論」で日本の地方を画一化する前のローカリティーを覚えているとともに、列島改造でどんどん「近代化」してゆく故郷の変貌を目の当たりにした世代である。だからこそ、自然が豊かで、その地方独自の文化が育まれていた時代に対するノスタルジアと、記憶の中にしか残っていない故郷への思いを込めて、「ファスト風土」という概念を提唱したのであろう。

しかし、違う視点から考えれば、三浦氏のような「アラフィフ」世代は、その上の団塊世代以上のヒトたちとは違い、都会化する地方のメリットを享受した最初の世代でもある。70年代から次々と出店した大型スーパーにより、洋風化した食生活や、ジーンズ、Tシャツといった「都会的」なファッションが、地方に住む中高生にとっても、けっして高嶺の花ではなくなった。新幹線が開通し、都会はあこがれるだけでなく、実際に手の届く世界になった。大学進学率の上昇も、都会と地方の距離が縮まった賜物である。

まさに、こういう「アラフィフ世代」こそが、新人類と呼ばれた、バブルに向かう80年代の若者文化の担い手であった。都会と地方の距離がなくなった分、都会の先端的でファッショナブルな生活も、決して夢ではなく、努力さえすればいつかは手に入れられるものと思えるようになった。メディアもマーケティングも、すべてこの構図に乗りさえすればウマくいった、夢のような時代である。そして、その欲望は、全世界を覆ってしまう。これは、いわば「ファスト風土化」の功の部分といえるだろう。

そしていまや、「新人類Jr.世代」が社会人になる時代となった。そういう意味では、今の25歳以下の世代は、いわば「故郷はファスト風土」の「ファスト風土二世」なのだ。「アラフィフ世代」が、カレーライスやハンバーグに「オフクロの味」を感じるのと同じ文脈で、彼ら・彼女らは、ロードサイドのファミレス、家電量販店やレンタルビデオ店、それらの集大成としてのショッピングモールに「故郷」を感じている。確かに、看板は全国共通だが、地元の人が集まる「その店」は、その地方だけのものだ。

さて、高度成長期には、「上昇志向」は自明の理とされていた。もともとそれは、みんなが飢えていたがゆえの道理であった。少しでも豊かになって、今の飢えた苦しい生活から抜け出したい。その欲望は、確かに上を目指すものである以上「上昇志向」といえないこともないが、あくまでも「マイナス」の現状から脱し、せめて「±0」を目指さないと生きてゆけないという、切実な欲求から生まれたものであった。そのノリが、最低限の生活が保障されるようになっても、抜けなかったのだ。

そこから生まれた「一億層中流意識」が根強い間は、マーケティングにしろ、メディアコンテンツ制作にしろ、日本においては実に楽だった。これが東京の流行の最先端、これが欧米の流行の最先端、と見せさえすれば、成り上がろうという意識の強い消費者は、入れ食いである。これを繰り返しているうちに、高感度で最先端のモノさえ提供していれば、いつでも消費者はついてくるという「思い込み」ができ上がってしまった。

しかし、それはそもそも誤解だ。人々の意識が変わってしまえば、そのパラダイムは通用しない。「ファスト風土二世」は、極めて現状肯定的である。自分のクルマで15分も走れば済むエリア内で、充分「文化的」で楽しい生活ができてしまう。その外側に出なくても、地元の友人たちと、幸せをエンジョイできてしまう。彼ら・彼女らは、地元で充分幸せを感じているのだから、高感度や流行の最先端には興味がない。

都心の百貨店にお客さんが集まらなくなったのも、マーチャンタイジングの問題ではなく、わざわざ都心の百貨店まで出かけようというモチベーションを持つ若者が減ったからだ。だから、ユニクロやしまむらのように、店のほうから地方の若者にすりよる出店をしている流通は、わが世の春を謳歌している。都心の百貨店が、列島改造時代の日本のようなノリになっている中国からのお客さんを集めて、なんとか生き残りを図っているというのが、なにより象徴的である。

「若者のクルマ離れ」も同根だ。地方の若者にとっては、クルマは必需品。一部のマニアを除けば、ファッションでもないし、みせびらかすものでもない。それなのに、若者には、見得と格好づけでクルマが売れると、30年前のマーケティングセンスを振りかざしてしまうメーカーの方がズレているだけなのだ。確かに、都市部ではクルマは売れなくなっているが、地方ではコンスタントに売れている。地方の若者は、決してクルマから「離れて」はいない。それどころか、エコや安全性には一段とコンシャスになっている。

それだけではない。全国的に「ファスト風土二世」的な若者が主流になっている。首都圏30km圏の外側は、すべてロードサイド文化の「ファスト風土」化してしまった。その内側でも、ジモティーたちは、まったりと地元に根をはやした生活を好んでいる。いまや、「高感度で最先端、都会的」なものを求めるのは、わざわざ地方から都会に出てきた若者だけとなってしまった。彼ら、彼女らは、せいぜい20〜25%。無視できないヴォリュームだが、けっして若者の主流ではない。

大阪の役ではないが、もはや堀は埋められてしまった。企業のマーケティング担当者やメディアコンテンツ企業の人間には、「高感度で最先端、都会的なものを求めて、地方から都会に出てきた若者」のなれのはてが多い分、なかなか認めたくないかもしれないが。事実は事実である。「高感度、最先端、都会的なものを求める上昇志向の強い層」は、いい顧客かもしれないが、若者では少数派である。日本の中心は、地元にまったりと生きる「ファスト風土二世」的なところにある。これはもはや、動かしがたい事実である。


(10/08/13)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる