「甘え・無責任」といじめ





いじめ自体は、人類がいるところどこでも起こる普遍的な現象である。もしかすると、高度な知能を持ち、集団生活を行っている類人猿や、人類の進化途中にあった原人などでも、「集団から村八分にする」タイプのいじめは存在するかもしれない。1980年代に「発見」されて以来、いじめは日本社会特有の現象として捉えられがちであったが、それは大きな間違いであり、いまや世界各国でいじめは社会問題となっている。

いじめの一種である「ハラスメント」など、その概念が横文字で表されるコトからもわかるように、問題意識からして輸入モノである。子供の運動会のビデオが、児童ポルノ→児童虐待にされてしまい、親が撮影するのも難しくなってきたように、どちらかというと、それまでは日本の社会通念として許されていた範囲のものまで、欧米の基準を「持ち込んで」きている傾向が強い。

そんな中でも、日本固有の「いじめ方」というのは存在する。欧米的ないじめにおいては、被害者と加害者が明確なものが多い。もちろん、日本でも古くから「いじめっ子」「いじめられっ子」という概念があったように、被害者と加害者が明確ないじめ関係も少なくない。だが、日本において、特に1980年代以降のいじめが社会問題化した状況においては、被害者は明確でも加害者が不明確ないじめが問題の主流となってるところに特徴がある。

いわば、主語のない「いじめ」である。厳密に言えば、過半数を占める「傍観者」が加害者なのだが、こいつらには「自分がいじめている」という意識は全くない。その場の流れに乗っているだけで、自分が音頭をとったわけではないし、直接手を下しているわけでもない。「わたしはやってない」という免罪符をかざせば、罪の意識にさいなまれることはない。みんなそうしてるんだから、自分は悪くない。こういうロジックに支えられている。

あるいは、もうちょっとずる賢いヤツだと、こう考えるかもしれない。自分は、実はいじめられているヤツがかわいそうだと思っている。しかし、それを態度に表したら、自分もいじめられてしまう。だから、何も語らず、大勢の行くところについてゆくのが、一番利口な「こなし方」だと。こう思っている限り、自分の意識のなかでは、自分は被害者でいられる利点もある。こう見てゆけば、もうお気づきだろう。

群集というスケールを風除けにして、その中にまぎれてしまえば、自分には風も当たらないし、火の粉もとんでこない。これはまさに、日本の庶民に特徴的な「甘え・無責任」の気風そのものではないか。「受動的なマス」という立ち位置をとれば、何をやっても自分に責任が降りかかることはない。主語のない「いじめ」とは、「甘え・無責任」な日本の大衆が、それに付和雷同しない隣人を排除するためのメカニズムなのだ。

そう考えると、いじめが1980年代から問題となった理由もよくわかる。高度成長により貧困から脱し、社会インフラも充実して、安定成長に入った80年代。バブルに向かって、一億層中流の幻想が花開いたこの時期は、江戸時代から日本の庶民が持っていた「甘え・無責任」の体質が、「Japan As No.1」などとおだてられた日本の経済繁栄をバックに、一気に噴出した時期でもある。

貧しく、国自体が自転車操業を余儀なくされていた時代には、「甘え・無責任」の体質は、今日の食い扶持を稼がなくてないけないという喫緊の課題の前に、水面下に封印されていた。それが、経済発展とともに、数十年の眠りから目を覚ましたのだ。「甘え・無責任」の権化たる高級官僚も、日本が貧しい間は、それなりにやらなくてはいけない仕事が多かった。それをこなすのに忙しく、「甘え・無責任」に利権をむさぼる余裕はなかった。

それが「開花」し、バラマキ利権と天下りの官僚天国を現出させたのは、1980年代以降のことである。企業組織が、高度成長期の成功体験をベースにした既得権にしがみつきだしたのも、やはりこの時期である。全ては、同じアナのムジナなのだ。したがって、主語のない「いじめ」ヘの対策は、「甘え・無責任」なヒトたちを、どう飼いならして戦力化するかという課題と、全く同じ問題であることがわかる。

そうであるなら、おなじみの二つの対応策が活きてくる。この連中をホンキで戦力化したいのなら、相互監視の5人組でチクりあう環境を作るしかない。これが大いに機能するのは、歴史が証明しているが、戦力化してもそんなに生産性が得られるわけでもない。それなら、ヤツらが勝手に「甘え・無責任」な世界に浸っている間に、「この指止まれ」でやれる人だけでやってしまう「茹で蛙」作戦のほうがいいだろう。結局、日本を救うのは、この「茹で蛙」作戦だと思うのだが。


(10/08/20)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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