幻想の中流





三浦展氏の「下流社会」のヒット以来、日本社会では階層化が進んでいるというのが、もっぱら定説になった感がある。いわば、階層化の常識化だ。しかし、ここでいう「階層化」とは、あくまでも高度成長期の成果としての「一億層中流」を前提とし、いったん平準化したものが、再び分化をはじめたという意味で使われている。いわば、階層がなくなったはずなのに、また階層の亡霊が現れてきたかのような反応である。

果たして、日本社会に於ては、階層は一度は本当に消滅したのだろうか。その時代を生き抜いてきたものの生活感覚としては、確かに高度成長期の終焉からバブル期にかけては、階層差があまりになかった時期だったような気がする。しかしそれとて、実際に確証をもって実感したのではなく、「そう言われ続けていたから、そうだろうなと思ってしまった」という次元のものではないだろうか。

70年代、80年代、90年代と、各種の公的な社会調査にかかわった有識者の話を聞くと、調査をすれば、決して一億層中流ではなく、階層は歴然と存在するが、調査を実施する官公庁が、その存在を認めなかったという事実に行き当たる。専門家がデータを検証すれば、階層があることがわかってしまうのは仕方ないが、報告書において直接そういう表現をとると、その筋から強い指導が入り、表現を改めさせられたということだ。

つまり「そう言われ続けてきた」のは、明らかにある意図をもって「言い続けてきた」人たちがいるからである。そしてその張本人は、官僚たちだ。つまり、高度成長期を経ても、日本社会における階層は「なくなった」のではなく、官僚たちによって「ないものにされた」のである。当時はまだ、公的機関の発表する統計調査の信頼度が高かっただけに、そう主張し続ければ、世の中もそういう気分になったのだ。

では、なんで官僚たちは、階層がないことにしたかったのだろうか。マルクスの階級論に代表されるような、19世紀、初期資本主義型の階層構造は、極めて単純で明解だった。一方で金も文化も教養も「持っている」少数の人たち。他方にそれらを「持っていない」多数のヒトたち。こういう階層構造であれば、階層構造は、各階級間には乗り越えられない壁がある「階級対立」として捉えられる。

階級とか階層とかいった言葉を聞いたとき、誰もがまず最初に思い浮かべるのは、こういう19世紀的な構図だろう。確かに、こういう古典的なヒエラルヒーは、20世紀後半の先進国では、ほとんど見られなくなった。だが、かつては「持つもの」と「持たざるもの」として、明解に捉えられていた構造が、決してなくなったわけではない。階層が、多軸化、複雑化し、捉えにくくなっただけなのだ。見えにくく、複雑になったが、階層は存在する。

本来なら、社会構造の高度化に対応し、より高度化した階層概念を導入するのが筋である。しかし、戦後日本においては、その逆をゆき、より単純化を図った。人々の生活レベルを見る場合には、その人や所帯の「所得」で捉えるコトが一般的であった。階層が歴然としていても、経済規模が発展すれば、みんなが豊かになる。そうなれば、所得でとらえることにより、階層差を曖昧化することができる。所得一元化は、階層を隠蔽する手段であった。

明確に階層としては「上」と「下」があったとしても、所得でみれば状況は変わってくる。20世紀後半の日本は、所得格差が例外的に小さい社会だった。さらに「上の下」と「下の上」なら、こと所得についていえば、「下の上」のほうが上回るのが普通だ。しかし所得とは別の指標を取り出せば、数々の社会調査の結果がそうであったように、階層構造の存在は明確に捉えられる。所得を指標に使う裏には、明らかに意図が働いていた。

今の官僚たちは、偏差値だけで「成り上がってきた」ヒトたちである。40年体制が確立する前においては、高級官僚は、薩長閥に代表されるように、官軍についた雄藩の武士層から多く輩出されていた。それが20世紀に入り、日本の高等教育が充実すると、偏差値さえあれば出自がなんであれ、高級官僚や高級軍人として登用されるようになった。ここに、問題のルーツがある。

戦後の基幹体制として、敗戦の混乱期を生き抜いた40年体制。その中核となった高級官僚たちの目指したものは、まさに、自分達の出自が問われないようなスキームだった。明治期のような旧支配階級出身の「高級官僚」と、昭和以降の大衆出身の「高級官僚」とは、背負っている文化や教養まで含めて評価されると、全く違う階級である。無責任階級である自分達の権力を正当化するためには、これを廃し、この両者が同等に扱われるような指標が必要となる。

ある意味「一億総中流意識」とは、日本にかつてあり、40年体制になっても歴然と残っていた「階層構造」を隠蔽するとともに、本質的に異質の階層の混合物である「ミドルクラス」を、あたかも一つの階層としてとらえることで、それが日本の社会においては主流を成す均質な存在とみなすための手段であったということができる。それも、官僚たちの利害のために。多くの国民は、それにお付き合いさせられ、ノセられて、自分を見失ってきただけなのだ。


(10/08/27)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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