民意とは何か





日本は民主主義の国なので、政治の主体は国民にある。とはいえ、間接民主制をとっている以上、人々が実際に政治そのものを行うことはない。生活者が行う政治行動は、議員を選んだり、リコールへの賛否を問うたりする「投票」活動が中心になる。そんな投票の中でも、代表的なものが選挙であろう。したがって、人々の政治行動に対して持っている意識を把握するには、選挙のモチベーションを知ることが第一である。

では人々は、選挙の際に、誰をどういう理由で選ぶのだろうか。アカデミックな政治学の世界で想定されているように、高邁な倫理観や、哲学的イデオロギーに基づき、投票する候補者を選ぶ人もいるとは思う。しかし、これは基本的に少数派である。それより、選挙を特別なものと考えず、ある種のマーケティング的選択と考えた方が、世の中一般の気分に近いだろう。選挙のモチベーションは、商品やサービスの選択と同じなのだ。

となると、現代日本人においては、この場でも何度も語ってきたように、団塊世代に代表される60歳以上の層と、団塊Jr,新人類Jr,などからなる40歳未満の層とで、全く政治に対するモチベーションが異なることになる。その中間の40代・50代では、この両者が並存し、連続的に変化している。とはいえ、このモチベーションの違いは、物心ついた頃の環境からの刷り込みに基づいているため、その分布は一様ではない。

同じ世代であっても、都市部か、過疎の農村部かといった、育った地域の環境や民度による違いが、上の世代に近いか、下の世代に近いかという違いを生み出す。アラフィフ世代でいうなら、大都会出身者では、昭和20年代後半生まれでも、「新人類」的な人がいる反面、農村育ちだと、昭和30年代前半生まれでも「団塊世代」的な人がいる。世代が下がるほど、「ファスト風土化」が進み、全国がフラットになる分、下の世代に近い層が増える。

高度成長期に育った、60代以上の層は、商品選択でも、機能やスペック、有名ブランドかどうかなど、定量的に把握しやすく、社会的にも共通の指標となりうる「ご利益」を基準に選択する。見栄が張れるなら、高いものでも買ってしまうが、そうでなければ、一番安いものを買う。自分自身が、その商品を客観的に判断する基準を持っていないがゆえに、世の中での評価を基準に選ぶからだ。

これに対し、40歳未満の層は、その商品が、好きか嫌いか、面白いか面白くないか、楽しいか楽しくないかという、自分自身の主観的な判断だけで選択する。もちろん、ランキング上位の商品が、さらにヒットを生み出すように、世の中の評価も関係しないわけではない。だがそれは、上の世代のように「世の中の評価を基準に選ぶ」というよりは、リスクある選択により、スカをつかんでいやな思い、つらい思いをしたくないので、はずれがない物を選ぶ、という文脈においてである。

これは、政治においても同じである。団塊世代に代表される60歳以上の層は、世の中で評価されている「ご利益」が基準になる。利益誘導のバラマキ行政が効くのもこの層だ。また、大企業や金持ちを悪者にし、庶民の無責任を担保するような「革新政党」的な政策がアピールするのも、同じ理由である。日本の政治は、この層にオプティマイズしすぎた。確かに高度成長期は、そのやり方で有権者は動いてくれた。しかし、時代は変わった。

40歳未満の層では、単に「面白いお祭りかどうか」だけが基準になる。面白ければ参加し、つまらなければ参加しない。なにごともそれが基準であり、選挙も同じである。WBCでも、日本代表に優勝の目が出てくると、野球ファンでもない、ルールも知らないようなヒトたちが、WBCの試合に熱狂する。2010年のワールドカップでも、代表チームが1勝を上げると、にわかサッカーファンが雨後の竹の子のようにあふれ出す。

今の民意とは、この二種類のモチベーションの結果でしかない。団塊の世代を中心とした層は、未だに圧倒的な人口のヴォリュームゾーンを形成している。もっと言うと、シニア層ほど「義務としての選挙」という意識が強いので、年齢層別の投票率自体も高い。この二つの条件があいまって、旧来の政治手法でも、ある程度の票はまだ動かすことができる。だが、若い層が面白がって投票しだすと、全く流れが変わる。それが、「小泉劇場」であり「政権交代」だった。

そして、若い層が動くと、シニアとて必ずしもヴォリュームゾーンではなくなる。つまるとこと、現代日本においては、民意とは政策の話ではないのだ。観衆、あるいは視聴者としての生活者を、いかに楽しませ、いかに飽きさせないか。エンターテイメントとしての、面白さの問題なのだ。こういうと目を顰める良識派の方もいるかもしれないが、事実は事実。それを尊重し従う必要がある。モチベーションはともあれ、国民の選択が正義となるのが民主主義なのだから。


(10/09/10)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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