ターニングポイント





19世紀半ばから160年ほどにわたる日本の近代史を切り分ける軸には、いろいろなものがある。最も一般的なものは、太平洋戦争の終戦を境に「戦前」と「戦後」という捉え方だろう。しかし、視点が変われば、いろいろな切り口が考えられる。官僚支配という側面に着目すれば、「40年体制」の成立が画期となる。政治とポピュリズムという視点なら、日露戦争の頃が転換点といえる。実際、論点ごとに、いろいろな変曲点が指摘されている。

しかしそれらのほとんどは、政治体制とか経済構造とか、極めてマクロ的かつ上部構造的な変化に対して提示されたものである。確かに、そういうレベルの変化は、「革命」とまでは行かなくても、明らかにエポックメイキングな「事件」を、ピンポイントで指摘しやすい。それだけに、その変曲点を指摘し、その前後の変化を特徴付けること自体が、歴史を語ることとなっている。

その一方で、人々の生活意識や文化といったものについては、あまり変曲点が指摘されることはない。人々の生活は、憲法が公布されようが、戦争が始まろうが終わろうが、その日から、180゜ガラっと変わってしまうということはありえない。8月15日に玉音放送を聞いても、その日の晩に食べるものは、前の日の晩と大きく変わるわけではない。同じ人が生活している以上、ミクロ的に見れば、連続性のほうが強調されてしまう。とはいえ、20年・30年というスパンで見れば、生活は大きく変わっているのも確かだ。

基点と終点で明らかに変化がある以上、マクロ的な視点から見れば、生活意識や文化といったものでも、どこかに決定的なターニングポイントを見出せるはずである。政治や権力構造とは違い、日本人の生活においては、戦前と戦後は連続している。記憶をたどっても、昭和30年代においては、生活のベースは戦前とさほど変わっていない。前にも書いたことがあるが、ぼくの母方の叔母は、昭和30年代でも、戦争前に「これから買えなくなる」とばかりにしこたま買い込んだ口紅が残っていて、それを愛用していた。

昭和31年の流行語「もはや戦後ではない」の意味を、平成の人間は勘違いしがちだ。この「戦後」とは、敗戦による社会の混乱、経済の低迷期という意味である。そういう敗戦を引きずったマイナスの時代を脱し、戦争前最も経済力や活気のあった、昭和10年代初頭のレベルに戻ったという意味である。実際、昭和31年のGDPは、戦前最高の昭和13年の水準を、初めて凌駕した。そういう意味では、戦争の混乱から脱し、戦前の良い時代を取り戻したのが、この頃なのだ。

さて、日本人の生活や文化のターニングポイントは、いつなのだろうか。どうやらそれは昭和30年代以降のようだ。それがいつかを突き止めるには、生活や文化をマクロ的に捉える視点が必要になる。そのためには、昭和30年代と平成20年代の今を比べた場合、生活や文化面で最も変化したところに着目すればいい。それは、昭和30年代には「人々の上昇志向に対応した、上から目線の文化」だったのが、今では「人々のまったり志向に対応した、下から目線の文化」になった点だ。

昭和30年代においては、生活も文化も「都会的・西欧的・進歩的・近代的」なものが「良いもの」とされ、みんながそれを目指した。都心の百貨店が代表するような生活文化である。それに対し、いまや「地方的・日本的・土着的・伝統的」なもののほうが、楽しくて気持ちいいものとされ、そちらの方が好まれる。まさに、北関東ロードサイドに象徴されるような生活文化である。この「ライフスタイルの鬩ぎ合い」に着目し、雌雄を決して、勝負の流れが決定的になった瞬間が、その時である。

スノッブな権威がくずれ、地頭のいい「カシコイ」人間は、官界や学界を目指さなくなった。左手にフォークを裏返しに持ち、その上に「ライス」を盛って食べる、レストランの「作法」が問われなくなった。音楽にしろ映画にしろ芸人にしろ、あらゆるエンタテインメントの世界で、それまでの業界秩序が崩壊し、プロとアマが連続した中から、才能をもった人材が一挙に脚光を浴びるようになった。これらの変化が、誰の目にも明らかになった時点。それを記憶の中からたどれば、1969年ということになる。

1969年は、一般には政治とカウンターカルチャーの年として知られている。ある意味、「団塊の世代」を全共闘世代として捉える史観ならば、69年の解釈はその通りだと思う。しかし、「団塊の世代」の本質は集団就職世代として捉える方が、実態として正確である。その流れからすると、まさに69年は、地方出身者が都会を乗っ取る第一歩を固めた記念すべき年である。上から目線と上昇志向という「上下」の関係が、少し傾いで斜めになる。その変化こそ、やがて関係性が横向きになる変化のスタートだった。もちろん、その時点で自覚的にそれを捉えていたヒトはほとんどいなかったと思うが。


(10/10/22)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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