次の一手





根岸英一・米パデュー大学特別教授と鈴木章・北海道大学名誉教授が、2010年のノーベル化学賞を受賞すると、にわかに科学技術の話題が盛り上がる。ノーベル賞受賞は慶事なので、それを祝する気持ちは大事だと思うし、受賞された方々の努力も並々ならぬものがあり、そこに敬意を払う気持ちも自然だと思う。そういう意味では、低調なオリンピックでも、ひとたび金メダリストが現れると、にわかに盛り上がるのと同じである。

それは、あくまでも受賞した個人に対する尊敬の念の表れである。だが、かならずそこに便乗して、妙な主張をする輩が現れる。今回の事例でいうなら、この受賞をうけて「日本の将来には科学技術の発展が不可欠であり、一層の支援が必要だ」と言い出す人達である。ノーベル賞は、受賞した個人の偉業をたたえるものであり、国家の科学技術のレベルに対して贈られるものではない。それが、論調の中で、いつのまにか変質してしまっても、何も疑問に思わない。

これはある面、スポーツもそうである。昔の共産圏のような「ステーツ・アマ」なら、国家が丸抱えで、国威発揚のために育成していたが、いまどきそんなコトをやるのは、一部の中央集権的な開発途上国だけである。本当にその国でスポーツが振興し、世界レベルで強い選手が続出するためには、逆に国家が一切規制や介入をせず、各選手やチームが好きなようにやれる環境を作るのが一番いい。実際、最近では、世界レベルで活躍する日本人ゴルフ選手が増えているが、彼ら、彼女らがどう育ったのかをみればすぐわかる。

さて、こういう論調が出てくる前提を考えてゆくと、二つの構造的な問題があることがわかる。一つは、事業仕分けではないが、政官学の利権構造である。「科学技術の振興」を訴える人達は、決して、企業やアカデミズムが、自助努力により科学技術を発展させることを期待しているのではないことに気付かなくてはいけない。この「科学技術の振興」は、主語が曖昧なのである。いや、こういう主張をするヒトにとっては、主語は曖昧でなくてはいけないのだ。

つまり、こういう主張をする人は、真意として「科学技術の振興」を望んでいるわけではない。そこはかとなく、経済産業省や文部科学省の臭いがしてくることからもわかるように、「科学技術の振興」に名を借りた、バラマキ利権の拡大や、新利権の創造こそが狙いなのだ。そこに、その分け前に預かれるアカデミズム関係者が、金の臭いを嗅ぎつけて、寄ってたかって漁ろうとする。当然、姿を変えた族議員も絡んでくる。新たな大型研究施設を作る話になれば、地方自治団体やゼネコンも黙っていない。

実は、「科学技術の振興」のために使われている税金は、そのかなりの部分が、こういう利権構造の中で恣意的に使われ、本当に競争力を増すような分野に使われることはまれなのだ。なぜなら、競争力が問われる分野は、エスタブリッシュされた分野ではなく、これからの伸び代があるエマージングな分野であり、そこは既得権がまだない領域である。学界の中でも、既得権のある「実力者」を中心に資金が分配される構造がある以上、そういう「可能性」に賭ける投資を行うことは難しい。

次に、第二の問題である。それは、長期的な視点から見た場合、限られたリソースを投下し、最大のリターンを得る可能性がある領域として、科学技術というのが適切かどうかが全く問われないまま、この議論が行われている点である。ストレートにいうと、科学技術へのこだわりは、すでに過去の遺物となっている、「モノ作り」にしがみつかざるを得ないような利害関係者の意見や価値観にオプティマイズしすぎているのではないか、という懸念である。

高度成長期を支えてきた日本のビジネスモデルは、すでに破綻している。そういう「発展途上国型モデル」を引きずりすぎたからこそ、世界経済の中で日本は異端者となってしまっているのだ。「科学技術の振興」が重要という裏には、「工場型ビジネスモデル」を是とする考えかたが潜んでいる。頭がかたくなりすぎて、過去の成功体験から抜け出せず、新たなビジネスモデルを構築できないのが、今の日本においては最大の構造的問題だ。

「科学技術の振興」と聞いたとたん、思考を停止し、「それは重要だ」と思ってしまうヒトが多いからこそ、日本の経済は停滞しているし、日本の競争力は低下している。科学技術が無意味とはいわないが、それだけで全てが解決するほど、日本の経済を取り巻く状況は簡単ではない。ノーベル賞が取るより、オリンピックでメダルを取るより、これからの時代に日本が生き残るための、新しいやり方を創りだすほうがよほど重要である。そして、それは、トップダウンではなく、ボトムアップからしか生まれてこないのだ、


(10/10/29)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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