純粋知性批判





洋の東西を問わず、学識者・有識者などの「知的エリート」は、大衆を「愚秀」として、自分達より知的価値が低い存在として見下す傾向が強い。だからこそ、大衆の嗜好を間違ったもの、遅れたものととらえ、自分達が「啓蒙」すべき対象として捉えがちである。今となっては、大時代的な時代錯誤もはなはだしいが、歴史的にみれば、そのようなあり方もそれなりに意味のある時代はあった。

知的エリートとしての哲学者、思想家が活躍した18〜19世紀のヨーロッパのように、大衆が教育を受けるチャンスもなく、大衆独自の文化を持つ余裕もなかった時代なら、物事をロジカルに捉えることのできる知的エリートが、社会的リーダーシップを取って、人々を「導く」役割を担うこともありうる。いわば、中世においてキリスト教会が担っていた役割を、知的エリートが代替することで、近代化を目指したのだ。

だが、20世紀の声が聞こえる19世紀後半になり、民主主義をベースとした国民国家が主流となると、大きく変貌する。大衆は国民として自信を持って自立し、自らの嗜好、自らの判断で行動するようになる。民主主義という政治システムの可能性と限界については、ここでは触れないが、近・現代においては、「民主主義は良いこと」という認識をベースとして世界が動いてきたことは間違いない。

民主主義を「良し」としてきたからこそ、20世紀の歴史を通じて、全体主義、共産主義が打ち倒されてきたことは、まぎれもない事実である。そのようなベースがあるにもかかわらず、この期に及んでも「大衆の選択」を「知的レベルの低い判断」として否定し、自らの考えこそが「普遍的な正義」であると考える「知的エリート」がなんと多いことか。というより、そういうスノビズムに浸ることが知的エリートの証と考えている節もある。

ましてや、日本は17〜8世紀から、大衆文化が栄えていた国である。儒学者のような「和風知的エリート」は存在したが、それは社会全体の思想的リーダーではない。文化はあくまでも町人層主体で発展し、支配階級たる武士層さえ、エンタテイメントという意味では、町人主体の文化の消費者であった。だから「知的エリートのスノビズム」は、文明開化で西洋の文物を学び始めた明治期に、その学問と共に輸入されたものである。

それでも、日本が実態としては貧しい開発途上国だった間は、「西欧に、追いつき追い越せ」という目標があり、そのためには「知的エリート」の役割はそれなりに大きく、その存在も認められていた。高度成長期までは、大衆全体としては「喰っていくのが精一杯」という人々も多く、とてもモノを考えたり選んだりする余裕がない状況だった。そんな中では、国を代表してモノを考えてくれる「学識経験者」の存在感もあったといえる。

だが、それも1960年代までである。高度成長の成果が、国民のすみずみにまで行き渡るようになると、人々は自分自身の生活に自信を持てるようになる。権威のあるヒトが「良い」といったものではなく、自分が「良い」と思えるものが、自分にとって「良いもの」となるようになった。どんな権威を持ってしても、大衆は決して動かなくなった。大衆が動くのは、自分達が「動きたい」と思ったときだけである。

1960年代には、悪書追放運動というのがあった。駅などに設置された「白いポスト」を覚えている人も、アラフィフ以上ならいるだろう。こういう運動も、70年代に入ると雲散霧消し、白夜書房のように、サブカルと結びついたエロ本が、公然と一般書店で売られるようになったのも、鮮烈に記憶に残っている。大衆がしたいことが、社会的に正しいこと。民主主義を前提とする社会なら、当然の帰結である。

あくまでもこれは、日本の社会における「事実」である。「事実」にたいしてどういう価値判断をするかは、これは個人の問題だ。思想信条の自由が認められている以上、その事実を肯定的に捉えようが、否定的に捉えようが自由である。しかし、自由である以上、その意見を他人に押し付けたり、自分と違う意見の持ち主の存在を否定してはいけない。それができない人間は、民主主義社会では発言の機会はない。どうやら、偏差値だけ高い方々は、この「道理」がお分かりにならないようだが。


(10/11/05)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる