グローバルな交渉力





中国の強みといえば、なんといっても、ヒトが多い点に尽きる。世界の人口の1/5を擁しているからには、世界に一人しかいない鬼才が中国人である確率は20%。文化や歴史の伝統もスゴいが、この数の力は際立っている。もっと普通の人材についても、内部の競争が激しく、表に出てくるまでに、相当に予選を勝ち上がらなくてはならない。このような「人材市場」の激烈さもまた、人材の厚みにつながっている。

関西人が、押しなべてお笑いに強いのは、お笑いに関する競争原理が強く働いているからだという。小学校でクラスの人気者だった子も、中学に入ると、各々の小学校の「人気芸人」同士の熾烈な競争になる。それを勝ち抜いた者が、高校に入るとさらに熾烈な人気競争を展開する。いわば「甲子園方式」で鍛え抜かれているからだ。科挙の伝統ではないが、各地方で優秀な人材が、さらに中央で競って、という、勝ち抜きシステムも中国の強みだ。

議論についても、中国人は強みを持っている。それは、一般的な強みに加えて、日常生活の中から「ディベートの極意」をマスターしているからだ。その秘密は、ホンネとタテマエの使いわけにある。実は、西欧人との比較で言われるように、必ずしも「日本人が議論に弱い」わけではない。議論に弱いヒトが多いことも確かだが、強いヒトも確実にいる。そしてその存在確率は、決して他国に劣るものではない。

議論に弱く見えてしまう問題は、その議論の仕掛け方にある。日本人は、自分の主観的な価値観と一致した議論は得意である。自説を戦わせることにおいては、日本人は世界に伍することができる。決して負けてはいない。しかし、自分の価値観と議論のテーマが遊離した、議論のための議論となると、からきしダメである。ところが、国際社会では、こういう「タメにする議論」の方が多いし、重要なのだ。

欧米では、そもそも議論とはそういうモノであった。議論がウマい人間とは、自分の立ち位置とは関係なく、どんな論点、どんな視点にたっても、そのロジックで相手を説得できる人間のことだ。さて中国は、もともとタテマエとホンネの二重構造に特徴がある。「上有政策、下有対策」(「上に政策あれば、下に対策あり」)という、有名な故事成語があるが、まさに上には上のタテマエを逆手にとって対抗し、自分たちはその影でやりたいようにホンネで動く。

この「上」の部分では、自分の個人的な意見や価値観とは関係なく、あくまでも「上」が正しいとするロジックを援用して議論をし、議論に勝つのだ。だから、見えないところでホンネを出せる。こういう策士と比べれば、日本人のように、ストレートに自分の意見をアピールし、相手に理解してもらおうとする態度など、余りにナイーブすぎる。自分の意見を通すには、なにもそれを相手に理解してもらう必要はない。相手が、そこにコミットしてこない環境を作りさえすればいいのだ。

誤解されがちだが、英語力とか中国語力とかいった語学力ではなく、こういう交渉力こそ、グローバルなコミュニケーション力の本質である。歴史をみれば、通訳を噛ました交渉でも、相手をねじ込んで説き伏せた事例は、いくらでもある。ホンネを隠して、ひとまずは議論のための議論で勝つ。ある意味、議論で勝つためには常道である。心を割って話せばわかる、という幻想にとりつかれているほうが、能天気なのだ。

自分の意見を語る必要なんてどこにもない。相手を論破し、自分の立場を有利にすれば、議論はそれでいい。これが、グローバルレベルの交渉力である。逆に、自分を正直に語ってしまっては、いわば敵に手の内を明かすことになり、損やリスクこそ莫大だが、何のメリットにもならない。日本人が世界で通用しないのは、コミュニケーション力の本質が、こういう「狸と狐の化かし合い」のような交渉力にあることを理解していないからだ。

個人的な内面レベルで、本当は親日なのか、反日なのかなどというのは、どうでもいいし、語る必要などない。その場面で、戦術として親日を騙ったほうが有利なのか、反日を騙ったほうが有利なのか、それだけである。アジテーターも、そこを見抜いて、表面的に利用されることを前提に、流れを作る。これも、何かの目的のために、手段として大きな流れを作るコトが大事なのであって、その意見そのものに価値があるワケではない。

これがワカらないようでは、ガキと勝負師の喧嘩である。なまじガキに腕力があると、それなりに勝負師にパンチを当てることはできるかもしれないが、それは勝負そのものからすれば、影響がないどころではなく、逆効果になる。勝負師なら、被害者であることを千載一遇の好機として勝負に利用してくるからだ。かつてマッカーサー将軍は、日本を12歳のガキに喩えたそうだが、それから60年以上たっても、国際関係という意味では、日本人はちっとも成長していないようだ。


(10/11/19)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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