ハイテクはレガシー





その国の発展段階と世界の経済環境によって、産業の柱となるべき業種は決まってくる。ある時代においては、ある国のある産業がある時期において世界をリードしたとしても、それは一時的なものである。その産業の繁栄が、未来永劫続くことはあり得ない。繁栄があればこそ、それはいつかは衰退する。それは世の常である。しかし、成功体験が強烈であればあるほど、その繁栄が永遠に続くと錯覚するのが人間だ。それはバブル体験を思い出してみれば、すぐわかるだろう。

かつて、「企業の寿命は30年」ということが話題となった。そのポイントは、一つの生産形態が持続しうるのは30年程度が限度であり、自ら産業構造を変化させない限り、繁栄は持続しないというところにある。同じところにとどまっていたのでは、繁栄は30年しか続かない、というのがそのロジックだった。当事者にとって、衰退を認めたくないという気持ちはわからないでもないが、それでは「座して死を待つ」のみである。

つまり、企業を持続させるには、自ら自身の成功体験を否定し、構造改革を行なうことが必須なのだ。企業を持続させることが経営の目的である以上、この変革は経営者の務めである。経営者の資質は、果敢な自己否定を行えるリーダーシップにある。成功体験に囚われるのは、経営者としての責任を放棄することを意味する。しかし、20世紀末の「失われた10年」以降、日本には、ここをはきちがえてしまった経営者が多い。

この事実は、産業の歴史を振り返ってみれば容易に理解できる。20世紀に入ってからも、日本の「花形産業」は各時代毎に大きく変わってきた。戦前から終戦後にかけては、「糸偏景気」といわれた、紡績業・繊維産業が基幹産業だった。戦後、傾斜生産方式が行われた頃は炭鉱が、高度成長期前夜には造船業が、それぞれ飛ぶ鳥を落とす勢いだった。しかしこれらの産業は、今の日本では見る影もなくなっている。

だからといって、世界的に見れば、その業種がなくなったわけではない。東南アジアの繊維産業、オーストラリアの炭鉱のように、その業種が今でも主要産業となっている国は存在する。それぞれの時代において、日本でその産業が花形産業であったが、諸般の事情から、今の日本ではメインの産業たりえないというだけである。単に、産業と国とのマッチングの問題だ。繊維産業をやりたければ、東南アジアでやればいい。

コンピュータやIT、エレクトロニクスといった業種は、確かに20世紀末期の日本では花形産業であった。だが、これらの産業も、その時代の日本において花形だった、というだけのことである。未来永劫、日本の基幹産業であり続ける保障などどこにもない。直接こういう産業に携わる人々だけでなく、日本人の多くがこの事実を認識できていない。というより、1970年代から20〜30年に渡って繁栄し続けてきたのだから、もう賞味期限が来てしまったのだ。

そのくらいの期間が経てば、その国の発展段階も変わるし、世界の情勢も変化する。そういう周囲の環境変化に目をつぶり、過去の繁栄にしがみついているというのは、あまりに能がない。日本においては、ハイテク製造業はすでに時代遅れになっている。その事実は、どうにもし難い。中国に「追い抜かれた」のではなく、今の時代においては、中国の方がより適性があるということだ。それを認識できないのは、盛りをすぎ、体力が低下しても、ガンコに現役にコダわるスポーツ選手のように醜い。

ここで重要なのは、企業の生き残りと、産業としての業種の生き残りは、次元が違う点だ。個々の企業という視点で見れば、業態を変えることで生き残っている企業はいくらでもある。100年以上続いている企業は、皆そうやって生き残ってきた。そういうパラダイムシフトを続けることが、戦略的経営だ。ハイテクはレガシーになった。家電やコンピュータメーカーの経営者は、何よりもこの事実を肝に銘じて、これからの時代を先取りする経営をすることが求められているのだ。


(11/03/18)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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