世代論の罠





この10年ほど、日本でもコーホート分析が一般的に行われるようになった。これは、コンピュータ技術が発展し、高度な分析も容易かつローコストで処理することができるようになったことと、ビデオリサーチ社のACR調査のような時系列調査データが80年代以降蓄積され、同じ質問に対する15年〜20年以上にわたる回答を利用できるようになったことに基づいている。

このように、コーホート分析自体が容易になると、それ以前とは違った視点から、調査データに対する分析が広く行われるようになる。その典型的な例が、「世代」に対する考えかただろう。かつて高度成長期のマスマーケティングにおいては、単純なデモグラフィック特性に基づく「世代論」が幅を利かせていた。それは、分析が容易なだけでなく、それで充分用が足りていたからである。

当時は、モノに飢えている人を前提とする、「少品種、大量生産・大量販売」が基本であり、「男性用、女性用」×「子供向、若者向、中年向、老人向」ぐらいの大雑把戦略に基づく商品企画でも、充分売れたからだ。プロダクト・アウトが成り立つなら、あえてターゲットを細かく分けて戦略を立てる必要などどこにもない。これが、日本のBtoCメーカーの成功体験の基本にある。

その後、ドルショック、オイルショック以降、日本経済の構造変化により、日本のマーケットにも変化が起こった。80年代以降、新規需要から買替・買増需要に売れ筋のドライバが変化すると、ターゲットに合わせた「多品種・少量生産」が標榜されるようになった。とはいえ、日本のメーカーはここで完全なマーケット・イン化を果たせず、より細分化したターゲット別のプロダクト・アウトにとどまらざるを得なかった。

その一つの理由としては、高度成長期の成功体験が余りに大きく、大メーカーにおいては「プロダクト・アウトでない生産」というあり方自体を想定できなかったことがあげられる。もうひとつの理由としては、この時代においては、まだターゲットの分析手法が充分ではなく、大量生産のマス・マーケティング時代の手法を、援用できる範囲で利用するしかなかったこともあげられる。

とはいえ、この時代においてすでに、ターゲットは、単にデモグラフィックな「世代」だけでは捉えられないモノとなっていた。そこで、所得や価値観を加味したクラスタリングでターゲットを捉え、そこに対して「マス・マーケティングのミニチュア版」を展開するのが、一般的な手法であった。この時代に育ったマーケッターにとっては、「世代論は古い」というイメージが一般的であった。

マズいことに、この時期は日本ではバブルに向かう時期であり、最もマーケッターがもてはやされた時期でもあった。一方、バブル崩壊以降の景気低迷期には、理屈がなくても売れるほうが先決となり、マーケティング主導も何もない状況となってしまった。ここに、「世代論を信奉する団塊世代のマーケッター」vs.「世代論を否定する新人類世代のマーケッター」という、極めて皮肉な世代対立が生まれてしまった。

さて、ご存知のようにコーホート分析においては、世代効果、年代効果、時代効果を分解して捉えることができる。これにより、新たな「世代論」が生まれる可能性が開けた。この構造を前提にしていうなら、高度成長期の古い世代論は、ここでいう「年代効果」のみに着眼したものである。コーホート以降においては、世代効果が世代論の基本となる。今や年代効果、時代効果以上に、世代効果の影響が大きい。

世代効果を元にした世代論は、年代効果を元にした世代論とは大きく異なる。生まれ育ち、物心がついた時期の世の中に、各人がどう影響され、どういう意識や価値観を持つに至ったか。それはまさに、団塊世代、新人類世代、団塊Jr.世代、新人類Jr.世代がそれぞれ違う意識を持ち、違う行動を取ることを説明することにつながる。20世紀後半は、情報化の進展により社会の変化が大きく、世代ごとの意識や行動の違いが大きくなった影響も大きい。

たとえば、F1層の特徴といった場合、古いタイプの世代論では、時代を問わず若い女性に共通の特徴ということになってしまう。しかし、コーホートに基づく世代論では、今のF1層、すなわち1980年代生まれを中心とする女性層に共通する意識や行動を把握することになる。これは当然、1970年代生まれが中心だった、10年前のF1層の特徴とは異なる。いまや、世代論は年代論とは違うのだ。

また、コーホートに基づく分析は、旧来のデモグラフィック世代論とは違った意味で、各年齢層の特徴をあぶりだすことができる。それは各年代特有の意識や行動の分析というより、なにが変化し、なにが変わらないかという視点である。たとえばF1層のテレビの総視聴長時間の減少は、テレビ離れではなく、F1層の就業率が高まると共に、在宅時間が減少し、それにより引き起こされた現象であることが分析可能だ。

けっきょく、旧来のマス・マーケティング的な手法では、きちんとターゲットを分析できていなかったのだが、それでも「外れでない答」が出せたというだけで、評価されていただけのことなのだ。かつてはあったかもしれないが、今では時代を超えて、年代に共通するものは少ない。しかし、手法もそれに追いついている。最適な答を出そうと思えば、出せる環境は整った、あと問題があるとすれば、それは使う側の意識やマインドだけということになる。


(11/04/08)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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