ハダカの王様





未曾有の大災害にあたって、権力欲だけは強いが中身がなくてアホな首相を頂き、無責任な烏合の衆で組織になっていない政党が与党というのは、極めてゆゆしい事態である。もしかすると、こちらの「人災」のほうが大きいかもしれない。とはいえ、モノは考えようである。逆説的に考えていけば、ピンチもチャンスに変わるコトが多い。評論家的にケチをつけるより、これもめぐり合わせとあきらめて、可能性を考えた方がいいではないか。

三流以下の政府・与党の人事を「不幸な人災」と考える裏には、「国」に対するスケベな期待があることを忘れてはならない。復興支援にしても援助にしても、「お上」が何かしてくれることを期待しているワケだ。しかしその源となる「お上」の予算は、所詮税収か赤字国債。かつての皇帝のように、政府自体が財産を持っていて、それを支出してくれるワケではない。そして、長年の官僚主導のツケがまわって、政府の財政はすでに大赤字で破綻しそうだという。

それなら、政府が「何かしてくれる」ことを期待するより、「何もしない」ことを前提に行動したほうがいい。「お上」の資金も、突き詰めれば民間から集めたものであるなら、問題は資金に対する保証だけだ。これさえ解決すれば、なにも国が顔を出してくる必要はない。一旦国がカラむと、そこに関わる官僚なども多く、余計なコストが発生する。それだけでなく、天下りの公益法人などをからませることで、その一部をプールし、利権化する輩も出てくる。

官僚が関わると、その分上前をハネられてしまう。せっかくの民間の資金の一部が、無駄になってしまう。おまけに、官僚機構が意思決定することで、スピーディーで機動的な資金運用もできなくなってしまう。それならば、民間から直接復興に向けて投資されたほうが、どれだけ効率的になるだろうか。この国難に立ち向かって、改めて認識すべきことは、中央集権的な官僚機構のもはや罪悪ともいうべき無駄さ・無意味さである。

文字通り、災い転じて福と成せ。力強い復興のためには、政府も官僚機構もいらない。逆に、そういう規制や利権といった既得権益が、足を引っ張っていることに気付かなくてはいけない。被災地全域を「復興特区」とし、あらゆる規制や既得権益を廃止し、全てグローバルスタンダード基準で運用するようにするべきだ。関税も税金もない。誰でも、何でも自由に事業展開できる。規制と利権の塊である日本の中に、初めて自由競争のマーケットが生まれる。

もちろん、経済面だけではなく海外の資格や認定基準もそのまま通用する。日本列島にありながら、「特区」は世界そのものなのだ。そうすれば、世界中の資金やリソースを呼び込むことができる。社会インフラの整備や地域開発計画に始まり、製造業はもちろん、農業でも大きな可能性が見えてくる。先端医療の実践や、先端技術の開発も容易になる。もちろん、日本国内の他の地域からも、既存の規制や既得権にうんざりしている資金や事業家をひきつけることだろう。

日本の競争力低下が語られて久しいが、その最大の元凶が、既得権益の維持にどっぷりとハマった官僚機構により構成される「大きい政府」である。新しいことを許認可権益で規制すると共に、実は自らの利権を拡大するだけのバラマキ財政を行い、税金の無駄遣いをする。これでは日本の経済は、まるでデッドウェイトをつけて試合に出るようなモノだ。こんなことをされては、実力があってもいい成績を出せるわけがない。

なんと、無策なことが最上の策となる。アホで何もしないのなら、それで結構。変な山っ気を出して、無駄な予算を使いまくるよりはずっといい。「やってるフリ」ごっこをしていてくれれば、それで充分だし、それ以上の何かを期待することはない。国が何もしないと、経済はこんなに活力が出るものなのか。みんなが、改めてそれを認識するためには、「ハダカの王様」はいたって好都合でさえある。皮肉でもなんでもない。日本の元気、日本の未来は、「政府が何もしない」ことから生まれるのだ。


(11/04/15)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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