愚者の選択





菅首相の、無能・無策ぶりは、ついに与党内部、政権内部からも「菅おろし」ののろしが上がるにいたった。そもそも市民運動家上がりに、リーダーシップを期待するほうが間違っているのだが、政治を単なる人気取りとしか考えず、代表に選んでしまった民主党議員の責任はあまりに重い。今になって「菅おろし」を叫ぶのなら、最初から選ばなければ良かっただけのことである。こんなヒドいとは思わなかった、と言訳したところで、それは自分の目が節穴だということを、天下にさらしていることに他ならない。

まあ、それでも菅首相の「功績」を考えるのなら、市民運動家、社会運動家上がりに政治家としてのリーダーシップを期待しても始まらないということを、広く天下に周知徹底させた社会実験ということに尽きるだろう。とはいえ、そのさなかの統一地方選でも、そういうタイプの首長を選ぶ選挙民がまだいるというのは、嘆かわしい限りである。しかし、さすがに実際に政治に携わる人々の間では、これは身に染みて感じられているのではないだろうか。

別にこれは、政治家としてそういう考えを持った人たちが活動することを否定するものではない。それどころか、議会の議員としては、市民運動家、社会活動家、人権活動家といった、少数意見を代表する人たちが参加し、意見を述べることは大いに意味がある。そもそも、大政翼賛型ならば、議会を開く意味がない。それは税金の無駄である。少数意見を聞くチャンスがあるからこそ、議会制民主主義は意味がある。

これは、投資におけるポートフォリオ理論を考えてみると、理解しやすい。大きな資金を運用する投資家は、通常、その全てをローリスク・ローリターンの安全な運用に回すことはない。総額が大きければ大きいほど、ある一定割合を、ハイリスク・ハイリターンな運用に回す。これは、スケールメリットで基本的リスクを分散することで、可能性に対する投資が可能になるためである。ある意味、ハイリスク・ハイリターンとは、大規模運用者にのみ許された特権でもある。

小額資金をハイリスク・ハイリターンで運用するのもバカだが、巨額資金を安定運用だけで回すのもバカである。もちろん、リターンのチャンスを得るという意味もあるが、リスクテイキングはそれだけではない。それは、投資家の社会的責任という面でも重要である。ハイリスク・ハイリターンな投資先には、その可能性が見えきっていないベンチャービジネスなどが多い。リスク志向型のマネーがなければ、そういう事業に資金が廻らず、次世代のビジネスが芽生えなくなってしまう。

さらに、個人投資家の場合は、そのマネーの一部分で、若手のアーチストの作品を積極的に購入し、支援することも多い。この場合、単なる寄付とは違い、そのアーティストがビッグネームになれば、その作品の資産価値が上昇として、大きなリターンが得られる。その活動は、同時に文化活動でもあり、ハイリターンな投資活動でもある。まさに、ポートフォリオの一部分に、ハイリスク・ハイリターンな運用を組み込むことは、そのファンドが、単に儲けるだけではなく、社会的役割も果たしていることの証となる。

議会に少数者の代表がいることも、同じように考えることができる。それらの意見を公にする場をつくり、行政の中に反映していることは、ある種の社会的責任を果たしていることにつながる。しかし、議員と「長」は違うのだ。「長」たるものは、議員とは違い、自分の主観的な立場を主張するだけでは勤まらない。逆に、いろいろな意見がある中で、戦略や方向性を決断し、みんなを納得させ、まとめ上げて行動しなくてはいけない。

議員内閣制ではなく、大統領制の意味はここにある。自分の立場や利害を代表する議員と、全体としての進むべき方向を決断する大統領。その求めるものや、最適化する方向が違うからこそ、別々の基準で、別々に選ぶ。これは、多様性の尊重とリーダーシップの発揮という視点からすると、極めて合理的である。そして、それを生かすには、有権者がこの二つの「票」の持つ意味を理解し、使い分けることが前提となる。米国がすばらしいとは思わないが、大統領と議会の多数派の政党が一致しないコトが多い点は健全かもしれない。

まあ、当人はどこまで考えてやっているのかわからないが、都議会議員選挙で生活者ネットワークに投票し、都知事選挙で石原都知事に投票したという人は、中年女性が中心だが、筆者が知る限りでもかなり多かった。これは、結果的に健全な選択である。それに比べると、議員も知事も社民党推薦とか共産党公認とかを選ぶヤツの発想が知れない。誰に投票するかという選択も、有権者にとっては責任ある判断なのだ。無責任な判断は、棄権よりもタチが悪い。日本を滅ぼすものがあるとすれば、それは「愚者の選択」以外の何者でもない。それが「社会実験」の結論といえる。


(11/04/29)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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