自己責任と公共責任
日本においては、庶民の「甘え・無責任」志向は、江戸の昔から続く「不治の病」だが、本当に「甘え・無責任」を享受し、天下の回りものにありつけるようになったのは、たかだかこの2〜30年のことである。今の若い人からすると、ビックリするかもしれないが、遠い昔の貧しい時代の方が、よほど自己責任が貫徹していた。というより、自己責任で行動しなくては、自分の命を食いつなぐことができなかったのだ。
実は、グローバル化が進んだ1980年代において、「甘え・無責任」なヒトたちが、「自立・自己責任」の個人主義に基づく、欧米型の訴訟社会を換骨奪胎して取りいれ、公的責任を訴訟で追求することで、よりおいしい「分け前」に預かれるようにしたのが、昨今のような公共責任が問われるようになった発端である。社会運動、市民運動、革新政党といった、「甘え・無責任」なヒトたちほど、公共責任を追及したことがその事実を表している。
実は、日本が今のような利権社会となるのは、1980年代以降のことである。それ以前の高度成長期から1970年代までは、日本の社会インフラはまだ貧弱だった。国道ですら、舗装されているのは主要区間のみであり、貨物輸送もその多くを鉄道に依存していた。この時代においては、まだまだ「必要とされる公共投資」も多かった。少なくとも「必要とされる道」を作る分には、当時からバラマキの要素はあったにせよ、利権にはなりにくい。
社会インフラが充実した1980年代に至り、もはや公共投資が必要とされるものでなくなってはじめて、バラマキ以外の何者でもなくなった。必要ではなくても、バラマクために工事を行う。それはとりもなおさず、田んぼの真ん中に立つ「文化ホール」などのハコモノや、人家もまばらで通過するクルマも少ない峠道など、利権構造として「ためにする」公共事業の誕生である。我田引鉄や列島改造などは、その便宜性を地元に引き寄せて利権とするのが目的で、必要のない金を地元に落とすタイプの利権でなかった点に注意する必要がある。
貧しい時代は、戦後復興の傾斜配分方式ではないが、限られた資金を集中させ、全体最適をはかった投資を行うことは、ある意味、理にかなっている。また、貧しい国では、政府の税収が、もっとも安定した資金源であることも確かだ。こういう状況下では、政府が「公共」を標榜すれば、それなりの役割を果たしうる。開発独裁型の政権が、ある条件下では経済発展に効果的なのはこのためだ。しかし、日本では、それも60年代までの話だ。
70年代に入ると、ドルショック・オイルショックというグローバルな経済危機があるとともに、1ドル360円という「政策的為替相場」のおかげで、主として対米輸出を中心として成長してきた経済構造に対し、大きな転換が必要となった。このような社会的状況の変化に対応するという事情から、70年代後半ぐらいまでは、日米貿易摩擦などそれなりに官の社会的な役割はあった。だが、百歩譲っても、日本において「官」の役割があったのは、この時期までのことだ。
しかし、その状況も80年代に入ると変質する。安定成長をベースとするとともに、経済の国際化により、企業の活動範囲も、日本という国を超えて、世界に広がった。これでは、政府の出る幕も、政府に期待する機能もなくなってしまう。発展途上国型の「官僚」の役割は、ことに日本国においてはここに尽きることになる。それとともに、その存在目的を失った官僚たちは、新たに「自分たちの利権を守り・増やすこと」が自己目的化し、存在意義とした。
これはまさに、公共責任が問われるようになり、世の中が「おせっかい」になったのと、軌を一にしている。公共責任が問われるようになった前提としては、最初に述べたように「訴訟の利権化」を捉えることができる。政府や地方公共団体、場合によっては大企業などを相手に、賠償を求める民事訴訟は、再配分、分け前にあずかる以外の何者でもない。この流れは、世の中の利権社会化という大きなうねりの中で捉えなくては、その本質を見失うことになる。
このメルクマールとしては、主として70年代に、知事や市長などに「革新系首長」が次々と登場したことがあげられる。この流れは、騒音や環境など、道路や鉄道、ビルなどの建設反対運動を大いに盛り上げたが、けっきょくそれらの運動が落ち着いた先は、革新政党らしく、再配分という名の「ゴネ得」である。ここに反対運動は、その「高邁」な主義主張はさておき、実態としては補償金という名のバラマキを増やすための道具となった。
このように、80年代において「甘え・無責任」がシステム化された。それは、高度成長期を通じて達成された経済の発展により、充分にバラマく資金が蓄積されたとともに、充分な分け前が得られるようになったからである。80年代後半の「バブル経済」が、それに輪を掛けた。しかし、おいしい話はいつまでも続くワケがない。バブル崩壊後の景気後退の中で、バラマくべき原資は減少の一途をたどる。
それが一方で引き起こしたものは、赤字国債、赤字地方債の乱発である。財務構造をバランスさせる発想がなく、金は天下の回り物としか思っていない役人は、収入がなくなっても、バラマキつづけた。もっとも、この時代になると、バラマキのためのバラマキが官僚の存在目的になってから入ってきた人材が過半を占めるようになるため、それをヤメるという発想自体が不可能になってしまったということもある。
しかし、収支という概念がある民間企業はそうはいかない。バラマキで対応するには限度がある。ゴネ得を防ぐには、事前の予防しかない。かくして、世の中は危険やリスクそのものをなるべく押し隠してしまう方向に推移する。その分、ホームドアのようなおせっかいなシステムが横行することになる。こう見て行くと、本質がわかる。公共責任という発想自体が、利権構造を維持するために生まれた虚構である。所詮この世には、自己責任しかありえないのだ。
(11/05/27)
(c)2011 FUJII Yoshihiko
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