「一体改革」の罠





民主党が組織の体をなしていないことは、民主党そのもの、または民主党の議員と仕事をしたことがあるヒトなら、充分感じていたことだが、菅首相のリーダーシップのなさ、そして内閣不信任案をめぐるドタバタで、その実態が誰の目にも明らかになった。かといって、元々野党の政党は最初から論外だし、自民党も制度疲労がはなはだしく、劣化が進んでいることが、今回の茶番劇で天下にさらけ出された。

ちょっと前までは、官僚主導に対する「政治主導」に、ある種の展望が感じられたことも確かだが、誰もが「政治に期待しても仕方がない」と思いはじめている。しかし、ここで注目しなくてはならないのは、さすがの霞ヶ関が、そこにウマくつけこみ、利権拡大を図っている点である。それも、東日本大震災という天災を千載一遇の好機とするという、天に唾するようなカタチでだ。

もっとも官僚は、自分たちの利権拡大のためなら、唯我独尊。天も被害者も関係ないという人たちなので、どうこういっても仕方がない。人の不幸も、自分たちの利権になるならば、土足で踏みにじっても平気な顔ができる連中なのだ。菅内閣発足とともに、その無為無策さにつけ込み、じわじわと復権をはかってきた「官」の世界だが、ついにここに至ってその本性をあらわにしてきたということができる。

具体的に言えば、消費税を5年間で5%アップという「一体改革」案が、このタイミングで出てくるという怪しさに、もっと注意を払うべきである。財政再建も、社会保障の改革も、待ったなしというのは、良識あるヒトなら誰でも認めるところだ。それはそれで、タテマエとしては間違ってはいない。そういうご時勢に、福祉の充実とか叫んでいる方々のほうが、よほど能天気である。しかし、それが即増税に繋がってしまうのは、官僚の勝手な論理でしかない。

財政再建と一口に言うが、実は二つの異なったフェーズがある。一つは、企業で言えばP/Lベースの赤字の改善である。そのためには、今のバラマキ行政、補助金行政を改め、単年度収支レベルでの赤字を解消することが必要だ。もう一つは、企業で言えばB/Sベースの赤字の改善である。つまり、累積債務の解消であり、このためには債務返済のための資金が必要となる。企業経営で言えば、この両者の緊急度は、明らかに異なる。

まず最初にすべきは、単年度収支レベルでの黒字化だ。それがなくては、ザルに水を注ぐことになってしまうだけでなく、いつまで経っても、債務返済のための資金が得られないことになるからだ。収支を黒字化した上で、債務返済。この順序は変えられない。交通事故等で大怪我をした人が救急搬送されると、まず止血等傷の手当てを行い、そちらが落ち着いてから、骨折の治療を行うのと同じである。

ところが、国や自治体の会計は、単年度のP/LだけでB/Sの概念がない。サザエさんにでも出てくるような、「家計から仕入れまで、全部ドンブリで店頭のザルの中の現ナマで対応する、家族経営の八百屋さん」と同じなのだ。だから、この両者がごっちゃになり、プライオリティーの話がすっ飛んでしまう。単年度収支の赤字構造を改善しなくても、収入が上がれば累損を消せるという幻想である。

官僚たちは、コレを悪用することで、一足飛びに累積債務の話をはじめ、単年度収支の黒字化の話をかき消してしまう。単年度収支の黒字化とは、とりもなおさず、高級官僚にとってそれ自体が自分の存在の証であり目的である、「利権」にメスを入れて縮小することを意味するからだ。これは官僚にとっては、死んでもできないことだ。逆に、増税はウマくすれば、自分たちの利権の財源の拡大にも繋がる。

旧国鉄が大赤字を背負って事実上潰れてしまったのは、組合との関係で合理化が進められなかったり、政治がらみでローカル赤字線にメスを入れられなかったことに帰されることが多い。それも現象面としては事実だが、それ以前の問題として、「3公社・5現業」として、行政機関的な会計管理をベースとしたため、B/Sレベルの管理や戦略経営が機能しなかったことが、そもそもの構造的要因である。

この時期、突如増税の話が出てきた裏には、震災復興のための資金が必要というのが国民的コンセンサスになり、これに便乗すれば、震災復興とは何の関係もなくても、増税の話をしやすい環境になったことがある。まったく、許しがたい暴挙である。自分たちの利権や天下りのイスのためなら、日本という国や日本の国民がどうなってもいい。本当は、国が滅んだら利権もヘチマもなくなってしまうのだが、そう思わないのが連中らしいといえばらしいのだが。

やることの順序が違う。まずは行政改革でなくてはいない。ほとんどの国家公務員は、「ためにする」仕事しかしていない。だからこそ、利権を増やし、天下りのイスを増やし、という、自己目的的行動に走るのだ。しかし、全員すぐにクビというのも、事実上難しい。だったら、全ての国家公務員は、キャリアもノンキャリアも含めて、全員被災地にいって復興活動のために汗を流せばいい。

少なくとも、のほほんと涼しい顔をしながら利権を増やす算段をしている輩に税金から給料を払うのではなく、国家公務員の給料も、それなりに復興に役立つように使われることになる。さらにその労働力の分、出銭は減るし、下請けにバラ撒いた分の中から、またぞろ天下り用資金とかを捻出する危険性も少なくなる。一挙両得ではないか。東北は、国家公務員の肉体労働で復興させる。そして、国自体も悪弊を断ち切れる。これで決まりだ。


(11/06/10)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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