枢軸国は反原発?





6月11日から13日にかけて、イタリアで、原子力発電再開の是非などを問う国民投票が行われた。結果はすでに周知のように、過半数を上回る約57%の投票率に達し成立するとともに、原発反対が94.5%を占めた。原発を推進してきたベルルスコーニ首相も、敗北を認め、イタリアの「脱原発」は既定方針となった。これは国内投票分だけなので、在外投票分が加われば、投票率も、反対票の数も、さらに上回ることとなる。

日本ではあまり知られていないが、イタリアでは、1980年代に反原発の動きが強まり、一旦全ての原発を廃止している。このため、多くの電力を周辺国からの輸入に頼るなど、慢性的な電力不足に悩まされていた。このため国際競争力の確保という意味でも、原発再開を求める声が強まり、ベルルスコーニ政権は脱原発政策を転換し、2013年までに原発建設を再開、2020年までに稼働させる計画を推進し始めたところだった。

同様に、脱原発の動きとして世界の注目を集めたのは、6月6日に行われた、ドイツの閣議決定である。3月に運転停止措置がとられた7基、点検のため停止している1基は閉鎖。残る原発も、15、17、19年にそれぞれ1基、21、22年にそれぞれ3基閉鎖する。2022年までに全ての原発が廃止されるコトを前提に、陸上・海上風力発電や、天然ガスによる火力発電の能力を大幅に増大する計画である。

実はドイツにおいても、方針が二転三転する状況は同じである。「脱原発」を掲げ、90年代末に成立した、社会民主党・緑の党連立のシュレーダー政権は、2020年までに原発の全廃を決めた。これは、第一次メルケル政権にも受け継がれた。しかし、2010年9月に成立した第二次メルケル政権では、折からの「温室効果ガス削減運動」をうける形で、原発再開を決定し、「脱・脱原発」を推進しはじめた矢先であった。

その一方でヨーロッパには、一貫した原発政策を取り、ブレがない国々もある。原発大国として知られるフランスを筆頭に、イギリス、ロシアなどは、ドイツ、イタリアの政策転換に対し、自国の原子力政策には一切変化がない旨の声明を発表している。ロシアに至っては、自国の原発をキープする一方、このチャンスを活かして、脱原発国に石炭・天然ガス・石油等のエネルギー資源を売り込み、外貨を稼ごうという熱心さである。

ここまで見てくると、面白い傾向が読み取れる。イギリス、フランス、ロシアは原発推進というだけでなく、核兵器を保有している核大国である一方、ドイツ、イタリアは、非核保有国である。そういう原子力大国かどうかという違いもあるが、それ以上に決定的な違いがある。それは、第二次世界大戦の連合国か、枢軸国かという違いである。もともと、核大国になれたのは連合国、なれなかったのは枢軸国という、因果関係があることを忘れてはならない。

つまり、元連合国の国々は、体制の変化や政権の交代はあるにしろ、国としての政策の一貫性が貫徹されている。ロシアなどその最右翼で、鉄のカーテンのソ連共産党時代から、金儲け至上主義の現代まで、イデオロギーは変わるものの、核政策は全く揺らぐことがない。一方で、元枢軸国の国々は、ポピュリズムというか、「輿論」の動向をうけて、政策があっちへ行ったりこっちへ来たり、大きくブレるのである。これは単に、偶然の一致では済まされない。

そもそも、ファシズムを生み出したのは、民衆の圧倒的な支持である。ファシズム体制は、上から強制されて生まれたのではなく、民衆の不満パワーをポピュリズム的に結集する中から生まれたものである。上流階級や知識階級は、ファシズムに対し否定的だったのに対し、労働者や農民など、下層の大衆はファシズムを圧倒的に支持し、折からの大衆社会化、民主社会化の波に乗って、政権奪取に至ったことを忘れてはならない。

「原発推進」がいいのか、「脱原発」がいいのかは、理性的に分析すれば、それぞれ一長一短があり、時代の状況や国の状況を勘案して、長期的視点から判断する必要がある。しかし、ポピュリズム的には、好きか嫌いか、恐いか恐くないかだけだ。それは、温室効果が話題になれば原発推進になり、原発事故が起これば脱原発になる、ドイツ国民の選択がなによりもよく示している。

長期的視点、大局的視点から判断し、脱原発を選ぶのなら、それは大いに意味があるだろう。しかし、大衆が人気投票的に、その時の気分で選んでしまったのでは、大きな危険を孕むことになる。それは、ヒトラーを選び、ムソリーニを選んだのと、何ら変わらないモチベーションなのだ。翻って、「独」「伊」とくれば、日本も枢軸国の一員だった。そして、ポピュリズム的な体質も変わっていない。さて、日本の選択はどうなるのだろうか。まあ、甘え・無責任な大衆に、大所高所からの判断を求める方が無理かもしれないが。


(11/06/24)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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