「世代」論





コーホート分析の問題については、この場でも、すでに何度も触れている。すでに「常識」が書き換えら得れているものと思いきや、気付いていない人は気付いていないままで、かえって意識の落差が拡大している、というのが実態のようだ。どうやら、世代論への理解が「世代」によって異なるという、極めてメタなオヤジギャグのような状況になっている。それならば、世代により「世代」論の刷り込みがどう違うのかという視点から、もう一度この議論をおさらいしてみよう。

ちょうど、ティーンエージャーの頃ワンボードマイコンが発売され、それ以降のテクノロジの発達と普及を、身を持って見続けてきた、マイコン・パソコン第1世代に相当する我々からすると、この40年近い経験が示すものは、技術は当初想像したほどには、人間の本質に影響しないということ、言い換えれば、新しいテクノロジも、それがマスレベルに普及した時点で、大衆の生活を変えるものではなくなっているということだ。

BtoCの領域では、エッジな人たちが、どう希望的観測、楽観的観測をしようとも、この事実は動かせない。しかし、これはテクノロジが世の中を変えないという意味ではない。技術そのものが重要になるエンジニアリングの領域や、「安い・速い・ウマい」の吉野家効果が分析結果のクォリティーに直接関係するアカデミックな領域では、その成果は極めて大きく、それまでの常識を大きく変えてしまうことも多い。エッジな論者は、こういう領域の関係者が多いことも、過剰な期待を生み出す要因の一つとなっているのだろう。

パソコンの技術的進歩の恩恵が大きかった分野のひとつとして、統計解析をあげることができる。20世紀後半にコンピュータが生まれて以来、理論としてのみ考えられていた分析手法が、実際に実用化されるようになった。これにより、理科系の実験結果の検証はもちろん、経済学や社会学においても、実験や調査結果の利用が飛躍的に高度化した。しかし、パソコンが生まれるまでは、このようなコンピュータによる解析は、大型コンピュータを利用するしかなかった。

このため1970年代の大学には、中型〜大型コンピュータを設置したコンピュータセンタがあり、それを各学部で共同利用していた。そこに設置されていたコンピュータは、当時としてはそれなりのパフォーマンスがあったものの、その能力はせいぜい80年代後半のビジネスパソコン程度のものである。いいかえれば、パソコンの普及により、統計解析は、研究者の机上で簡単に行えるものになったということができる。それとともに、データの分析手法も、飛躍的に進歩しだした。

さて、統計解析といえば、マーケティング調査にもつきものである。というより、そのものといってもいいくらい不可分の関係にある。当然、この30年間のコンピュータの進歩の影響も大きい。その一つとして、コーホート分析の一般化があげられるだろう。コーホート分析とは、ご存知とは思うが、性年齢別に現れる特徴のうち、生まれ育った時期に刷り込まれた、その世代特有の「世代効果」、時代を問わずライフステージなど年齢により現れる「年代効果」、調査が行われた時ごとに世代を問わず共通する「時代効果」を切り分けて捉える手法である。

このためには、15年とか20年以上の長期にわたって、定期的に同じ質問による調査を行ったデータが蓄積されていなくてはならない。少なくとも、高度成長期以降の日本においては、ビデオリサーチのACR調査や、NHKによる国民生活時間調査など、脈々と続いている調査があり、コーホート分析を行う元データには事欠かない。このため、90年代後半以降、これらのデータを利用したコーホート分析が行われ、その結果が次々と発表されるようになった。これにより、生活者の分析は大きく変わった。

それまでにも、マーケティングにおいては「世代論」は盛んであった。しかし、それはどちらかというと、「集団就職世代としての団塊世代」(「全共闘世代としての団塊世代」というのもあったが、大学進学率が1割台だった団塊世代を、全共闘で代表させるのは間違い)というように、どちらかというと、観念的・文学的なくくり方であり、後付けで世代の特徴をブランディングするような、極めてアナログな手法だった。

その一方で、定量分析においては、長らく視聴率における「F1・M1」のようなデモグラフィック別のくくりが主流であり、「小衆」的な議論が生まれてからも、クラスタリングを行った上でクロスをかけるような手法にとどまっていた。すなわち、90年代の半ばぐらいまでは、アナログ的な「世代論」と「定量分析」との接点はほとんどなかった。そればかりか、デモグラフィックが強調される分、今でいう「世代効果」より「年代効果」のほうが重視されるきらいもあった。

しかし、コーホート分析が広まってからは、決定的にこの状況が変化した。「世代論」が、定量的に把握できるようになったのだ。それだけでなく、「世代効果」「年代効果」「時代効果」を分離して捉えられるようになった。その結果、今の日本の生活者においては、「年代効果」「時代効果」以上に、「世代効果」が強く働いていることも明確になった。これとともに、たとえば「F1」の意味も変化し、20〜34歳の女性というより、主として80年代生まれの女性、という文脈で捉えるべきものとなった。

これは、今の日本の生活者の大部分が生まれ育った20世紀の半ば〜後期においては、社会や情報環境の変化が激しく、人格形成期の「刷り込み」が、10年違えば全く違うものとなってしまっていたことにより引き起こされたものである。これはある意味、今のF2層は、彼女たちがF1層だった頃の意識や行動を残したまま、年齢だけが上昇したものという、流通の現場的な感覚ともよくマッチする。今のアラフォー・アラフィフは、歳ではなく、1960年代生まれの感覚なのだ。

こういうコーホート的な捉え方ではなく、今なお年代別のような見かたをしているのは、今やオリジネーターたる視聴率関係、そしてその影響を強く受けているテレビ業界ぐらいのものではないだろうか。意識や行動については、かなりの部分が「世代効果」で語れてしまうのだ。もっとも、日本でコーホート分析が可能な過去のデータはそう多種あるワケではなく、そのほとんどがすでに分析されてしまったので、これ以上新たな分析ができないのが、悲しいところではあるのだが。


(11/07/29)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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