マスにウケるということ





いいモノを作ることと、マスにウケるモノを作ることは大きく違っている。かつて、日本がまだ飢えていた高度成長期においては、この両者は比較的一致していた。だからこそ、「(生産者が思う)いいモノ」を提供すれば、マスマーケットはついてくるという、極端なプロダクト・アウトの発想が広まるとともに、そういう戦略でもモノが売れてしまう状況が実現していた。

しかし、いつも述べているように、それは、飢えていてモノがない状況だからこそ成り立ったことである。昭和50年代以降、世の中が豊かになり、安定成長の時代になるとともに、このような生産者中心の「日本流マス・マーケティング」では、太刀打ちできない状況が多くなってきた。とはいえ、日本の製造業の多くが、未だにプロダクト・アウトの呪縛から抜け出ることができないのも現実である。

特に21世紀に入り、日本社会が「超大衆社会」になってから、生産者が思う「いいもの」と、生活者にウケるモノとの差が拡大し続けている。専門家や評論家が上から目線で勧めても、ボリュームゾーンは全く反応しない。それが実際にいいモノであったとしても、上から目線を拒絶する。「権威」がなんと言おうと、自分の感覚で納得できなければ、決して動くことはない。

もっとも、これは他人の影響を受けないということではない。友達や仲間が「横から目線」で勧めるものや、メディア経由でも、お笑い芸人などが「下から目線」で勧めるものについては、それなりに試してみようか、という気になるようだ。自分と同じような嗜好、自分と同じような感覚で選ばれているものなら、それなりに興味をひくということだろう。だから、口コミも横並びで広がってゆく。

最近では、誰もが知っている大手外食チェーンやファストフード、コンビニなどの人気メニューランキングを取り上げる、テレビ番組が多い。順位を芸人が当てるモノもあれば、プロの料理人や料理評論家が、人気メニューに点数をつけるモノもある。後者のタイプの番組では、人気上位のメニューの評判は、専門家には必ずしも良くない。これなど、プロの作り手と、マスの生活者の評価ポイントが大きく乖離しているいい例だろう。

ハイレベルな作り手が作るいいモノは、付加価値は高い。確かにいいモノなのだ。しかし、だからといって、多数が支持するわけではない。これでは数が出ない。数が出るのは、必ずしもいいモノではなく、多くの人にとって、「口当たりがいい」モノである。マスを構成する人々は、自分の選択に絶対的な自信を持っている。そして、自分が気に入らない限り、決して購入してはくれない。

昭和30年代においては、黒沢明監督の名画も、当時の邦画配給会社の基本であった、ブロック・ブッキングのプログラム・ピクチャーの一部として、東宝が製作した。これらの名作は、当時の観客が映画を見る目があったから、ヒットしリクープできたのではなく、B級映画でも満員になってしまう配給システムがあったから、製作できたのだ。観客が見る映画を自由に選ぶ時代に入ると、邦画ではとても「名画」は作れなくなった。

いいモノが、決して売れないワケではない。それどころか、ビジネスという意味では、極めて高付加価値で収益性が高い。しかし、数が出ないのだ。いいモノを選んで買おうというひとは、少数派なのだ。どちらが正しいというものではない。両立する、別のビジネスモデルなのだ。従って、自分達がどちらを選ぶか、明確な戦略があればいい。ところが、これが曖昧なまま、どちらも追えなくなっている日本企業も多い。

この傾向は、作り手の側にも要因がある。大企業は、組織で動いている。オーナー企業や、創業者が引っ張っているベンチャー企業ならイザ知らず、サラリーマン社長を担ぐような会社では、個性の際立った高付加価値商品で、ニッチを狙うのは難しい。ある意味、組織で合議制で決めて行く限り、どうしても数を取り、シェアを取りに行く戦略になってしまう。そのほうが、定量的かつロジカルに説明しやすいからだ。

本当は、付加価値志向でなくては成り立たない商品企画も、いつの間にか、マスでヴォリューム・ゾーンを狙う戦略になってしまう。問題は、商品と戦略のアンマッチングにあるのだ。先程の料理の例でいえば、全国チェーンのビッグビジネスを目指すのもよし、オーナーシェフのビストロを目指すもよし。全く別物なので、どちらも成り立ち得る。その方向性を明確にし、見失わないようにすればよいのだ。

ただし、ボリュームゾーンを狙うというのは、今や一国内だけの話ではなくなっている。特に消費財では、この傾向が顕著である。この道を選ぶのであれば、もっと強力なライバルがいることを理解した上でなくてはならない。そのような巨大な強豪と、がっぷり四つに組んで戦えるのか。その自信がなくては、マスは狙えない。それなら、オーナーシェフ型のビジネスモデルを狙えばいいワケだが、果たして日本の企業人にそれができるのだろうか。問題はそこにある。


(11/09/16)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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