成長願望病





すでにこのコラムでも何度か論じているが、こういう御時勢になっても、経済成長至上主義の議論を振りかざすヒトが、まだまだ多い。東日本大震災が、20世紀型の日本をリセットし、21世紀型のパラダイムに生まれかわるチャンスとすべきだと主張する人がいる一方で、経済成長なくして復興なしというような主張を振りかざすヒトが多い。すくなくとも政官財のトライアングルやジャーナリストにはかなり目立つ。

現在の日本の生活者における、意識や価値観の違いは、しかるべきデータを使ってコーホート分析を行えば、時代効果や年代効果より、圧倒的に世代効果の影響が強いことがすぐにわかる。20世紀後半の日本においては、社会構造や経済環境が目まぐるしく変化したため、人格形成期に刷り込まれたモノが、世代により著しく異なり、これが意識や価値観の大きな差異を生み出しているためだ。

もっとも典型的に現れるのは、高度成長前の、日本がまだ貧しい時期に人格形成期を迎えた、昭和20年代以前に生まれた世代と、高度成長期が終わり、安定成長期の豊かな社会の中で人格形成期と迎えた、昭和50年代以降に生まれた世代の違いである。この両世代は、とても同じ国の中で、2〜30年の違いしかないとは思えないほど違っている。この間に入る昭和30年代、40年代生まれの世代は、育った地域や環境により、両者が混ざっている。

経済成長に対するスタンスも、世代別に見て行くと大きな違いがあることがわかる。端的に言えば、昭和20年代以前に生まれた世代では、成長至上主義的な傾向が強く、昭和50年代以降に生まれた世代では、現状に満足し多くを求めない傾向が強い。昨今、「若者に意欲がない」とか「若者の消費欲求が弱い」とか言われているが、これも実は、昭和50年代以降に生まれた世代が、現状に満足し、それ以上を目指そうとしないことに由来している。

そう考えると、団塊世代に代表されるような昭和20年代以前生まれ世代の意識や価値観を探れば、経済成長至上主義的な考えかたがどこから生まれてくるかがわかることになる。まず考えられるのは、「貧しさへのコンプレックス」だ。この世代にとっては、高度成長は「後天的体験」だ。テレビが来た日を覚えているように、高度成長の波に乗った日を覚えている。原点は常に、戦後の貧しい時代の貧しい生活にある。

そこから「這い上がってきた」人たちにとっては、そこにまた「叩き落とされてしまう」ことが、何よりも恐ろしい。この脅迫から逃れるためには、少しでも他人より上に這い上がり続けることが不可避である。つまり、成長を止めてしまったら、またあの貧しい世界に引き戻されてしまうというコンプレックスがあるのだ。だからこそ、成長のない社会など考えたくないし、考えられないというワケである。

次にあげられるのが、「自転車操業への不安」である。まさに、集団就職で都会に出てきて、郊外に持ち家を購入するというそのライフヒストリーが示すように、基本的に裸一貫というか、ストックが何もない状態から、フローだけで成り上がってきた世代である。ストックが充実してきても、フローが潤沢でないと不安になってしまうのだ。それは、個人的な収入でも、企業でも、国家でも同じである。基本的にフロー主義なのだ。

ストックがない状態と、ストックが充分にある状態では、マネジメントは違うのが当然だ。資金を全額借入で賄っているのと、全て自己資金で対応できるのとでは、雲泥の差がある。だからこそ、ストックを安定的に増やし、経営基盤を安定させることが重要になる。安定成長期に入った日本は、個人も社会も、いわばストックがかなり蓄積された状態にある。当然、対応を変えることが必要なのだが、それができないのが貧乏性というワケだ。

最後に見逃せないのが、「バラマキ原資としての、右肩上がりへの期待」がまだまだ強い点である。日本におけるバラマキ利権構造は、かつて高度成長時代に、将来の経済成長を先取りして、政府の資金を投入したことに始まる。いわば、将来の収入増を前提に、ローンやクレジットで金を使いまくるのと同じである。これは、右肩上がりで経済成長が続かなくては成り立たない構造だ。

しかし、一旦身についてしまった「貰いグセ」は、そう簡単には治らない。安定成長の時代になって、右肩上がりではなくなると、この「利権の素」はなくなってしまう。官僚たちが、それでもバラマキ行政を続けたからこそ、赤字国債で財政が破綻寸前になっていることが、なによりそれを示している。こういう状態になればこそ、利権構造を維持するには、成長が不可欠なのだ。そういう意味で成長を必要としているのは、国家や国民ではなく、利権構造である。

このように見て行くと、成長願望に囚われているのは、高度成長前の日本を知る、ある世代以前の人たちと同様のメンタリティーを持った人たちだけなのだ。そういう人たちが、政官財やジャーナリストには多いというだけのコトである。生産人口の多数を占めるとともに、これからの日本を背負ってゆく世代の人たちは、そういう考えかたをしない。単に、古い考えかたから抜け出せない人たちが、より現状にあった見方ができる若い人たちに、自分たちの考えかたを押し付けている。実は、それだけのコト。これからの舵取りの選択は、これからの時代を担う人たちが行う。それが常道ではないか。


(11/10/14)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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