近代の終焉





2011年は、いろいろな意味で世界が大きく揺れ動いた年であるということには、誰も異論がないだろう。東日本大震災と大津波、世界各地を襲った洪水など、大規模な自然災害が立て続けに起こった。ギリシャの経済破綻をきっかけとしたユーロ危機など、グローバル経済も大きく揺らいだ。また、イスラム民主主義が世俗的独裁政権を妥当するジャスミン革命の波も、国際政治のあり方を大きく変えた。

このような動きは、決して偶然に起こったものではない。そのきっかけこそ偶然かもしれないが、波紋が広がり、世界を揺るがすような大きな問題になってしまったのには、それなりに理由がある。それは、この数百年、人類社会の基盤となっていた「ルール」が揺らいでいるところに求められる。近代社会の「公理」が揺らいでいる。中国的に言えば、近代社会の「天命が尽きつつある」のだ。

1960年代頃から、近代社会的なテーゼに賞味期限が来るということは、繰り返し語られてきた。しかし、誰もがそれはまだ先のことだろうと思い、近代というあり方自体を否定しようとは思わなかった。いや、それは、まだ近代が続いて欲しいという願望の裏返しだったかもしれない。それから約50年。衰えながらも近代に変わるスキームは現れなかった。しかし、今その命脈は尽きようとしている。それは次の5つのポイントにまとめられる。

ますは、成長主義の終焉である。近代を経済面から捉えると、常に成長・拡大を是とし、成長すること自体を目的として、運動のエネルギー源としてきたところに特徴がある。そのドライビングフォースも、二つの面から破綻が見えてきた。一つは、先進国自体の成長の限界である。日本のバブル崩壊以降、アメリカでの金融危機・リーマンショック、ヨーロッパでのユーロ危機と、先進国経済自体が構造的に成長を期待できないものとなった。

それだけではない。実は、成長の裏には、まだ成長の恩恵を受けていないフロンティアの存在が必須である。そういう処女地があればこそ、先進国は国内市場が飽和しても、更なる成長が可能であった。いわば、経済的な殖民地化である。しかし、いまや世界のあらゆる地域が成長をはじめてしまった。言い換えれば、ラストリゾートはなくなったのだ。これでは、今後も成長を前提としたモデルを維持することは不可能である。

次は、科学技術信仰の終焉である。冒頭で述べたように、2011年は災害の年であった。そこで語られたのが、想定外の大津波、想定外の大洪水といったフレーズである。それに対し、想定水準が低すぎたのではないかという批判もある。しかし、これはそういう程度の問題ではない。いかに想定水準を上げたところで、それ以上の大災害が発生してしまえば、どうすることもできない。そもそも、人間の力で自然をコントロールしようという発想自体に無理がある。

ここで立証されたのは、いかに科学技術が進んだところで、自然の猛威の前には無力だということである。ある意味、近代とは科学技術の時代である。科学技術が発達し、その力を人類がコントロールできるようになることが、幸せにつながる。近代社会の裏には、こういう科学主義があったコトは間違いない。特に、西欧キリスト教圏でその傾向は顕著である。しかし、それは人間のおごりに過ぎないことが、まざまざと証明された。

それはまた、西欧中心価値観の終焉にも繋がる。近代とは、まさしく「西欧的なるモノ」が正しく、西欧が世界の中心であり、その価値観がグローバルに通用するとともに、世界の全てが「西欧的なるモノ」を目指した時代だからだ。今求められているのは、目先の対症療法ではない。産業革命以来、もしくは大航海時代以来の、西欧が世界の中心だったスキームからのパラダイム・シフトである。

新興国の勃興、アフリカ諸国の発展等は、単に経済発展段階の問題ではない。それらの国々の社会や人々は、豊かになっても、決して西欧近代のデッドコピーにはならないということが見えてきた。西欧近代的でないパラダイムの勃興という面を重視すると、西欧諸国自体が、それらと共存できる、新しいモデル、新しいスキームに移行しなくては、未来がないことがわかる。まさに、西欧諸国が今後も生き残るには、西欧近代を自己否定しなくてはならないのだ。

西欧自身による自己否定は、西欧近代を支えてきた、プロテスタンティズム的バックボーンの解体を意味する。それはまた、近代を特徴づけてきた、「自立した個人」というあり方自体を問い直すことになる。これはまさしく、個人の終焉である。全ての人々が、近代的な自我を持つ個人である必要性はない。というより、近代の可能性が否定されてしまった以上、近代的個人であり続けることは、無駄な努力でしかない。

もちろん、自立した個を持つ人間はある程度必要だし、当然そういう人材は存在するだろう。しかし、それが唯一絶対な規範ではなくなるし、マジョリティーを占める多くの人間にとっては、そのほうがよほど楽で楽しい人生を送ることができるだろう。そうなれば、再び共同体と宗教が重要になり、それらを基盤とした社会が構築されるだろう。さしもの西欧も、人類が生まれて以来、中世まではそういう社会だったのだから。

中世以前の社会へ原点帰りするのであれば、今我々が普通に考える「国家」は無用の長物となる。すなわち、国民国家の終焉である。考えてみれば、武力による戦争も、経済戦争も、地球上の争いは、近代国家ができてから一段とエスカレートし、凶暴な破壊力を発揮するようになった。近代社会を唯一絶対のものとし、それを死守したいからこそ、その中での自分の権益を象徴する近代国家が重要視された。それが守るもの自体がなくなってしまえば、そんな国家などもういらない。

ある意味、近代国家的なフレームがなくて済むというのは、ユートピアであった。国家は、必要ではあるものの、みんながこころよく受け入れているわけではない必要悪であった。どの国でも、税金を取られて喜ぶヒトはいない。どの国でも、役人あるところに汚職はつきものだ。「大きい政府」は、バラマキの利権にあずかれるモノにとっては良いことだが、全ての人にバラマかれないからこそ利権になる。国がなくて済むなら、それはとてもいいことではないか。

乞う考えてゆくと、近代の終焉に対して、日本の果たすべき役割は大きい。日本は、20世紀の近代社会の中でも、ある種異端児であった。追いつき追い越せで「西欧近代」になりきろうと努力をしてきたが、西欧近代は最後まで、同じ仲間としては認めてくれなかった。とはいえ、「追いついた」ことは、事実として認められている。このポジションは、近代の終焉に際しては、実は極めてラッキーである。

西欧自身が自己否定することは、極めて大きな労力と痛みを伴う。しかし、日本が近代を自己否定するのは、それほどの難業ではない。なんせ、日本の中に西欧を否定する要素があることは、その西欧自身が認めているのだ。今後も近代を続けてゆくのは、労多くして益少ない茨の道である。しかし、近代を否定するのなら、絶好のポジションにいる。これを幸運と捉えなくては、それこそ日本の未来はない。確かに、近代の再生は難しい。だが、選ぶべきはその道ではない。日本の復活は、日本的なるモノの復活から始まるのだ。


(12/01/13)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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