善意の村八分





昨今、グローバル化の波を受けて、日本社会でも「多様性を認めることが重要だ」という意識が高まってきた。しかし、ダイバーシティーの発想は、日本人や日本社会にとっては、なかなか受け入れられないものである。それは、多様性を認めるのは、自分自身に対し、ある程度以上の自信がなくてはできないことだからだ。自分を良さを客観的に認められない人には、他人の良さをきちんと理解することはできない。

異質の人間や集団の間での共存関係は、作れるのが理想であるが、決して机上の空論ではない。もちろん、それは自然にできるものではない。しかし、努力の仕方一つで実現可能なモノである。がっぷり四つに組みつつ、互いの違いを認め・尊重しあうというのは、確かに難しいだろう。しかし、人間というもの、そもそも視野に入ってこなければ、その存在は気にならない。共存の原点はここにある。

大航海時代が始まった近世においては、そのころスペイン人やポルトガル人が侵出した、アジアやアメリカ大陸に関するちゃんとした冒険旅行記もあったが、ガリバー旅行記ではないが、大人国や小人国、女人国など、荒唐無稽な「冒険記」も書かれ読まれていた。自分とかかわりのない世界の果てなら、地球上に摩訶不思議、魑魅魍魎な世界があっても、何ら困らないだけではなく、面白く夢あふれてさえいるのだ。

最低限の接触があったとしても、見て見ぬフリができるかどうか。別の世界に生きている存在と思えるなら、相手と過剰にコミットする必要もない。それが互いにできれば、何ら困らない。実際、原始時代から、多様な民族間では、「無言貿易」のような形で、直接の接触なく、互いのインタラクションを成り立たせていた。問題なのは、そこにあるべき「一線」を踏みにじってしまうヒトがいることである。

そういう意味では、悪いのは、多数ぶっている側である。そもそも、多数が正義というワケではない。そして、「多数」という主義主張があるワケではない。本来、多数はあくまでも結果であり、そこにどちらが正しいという価値観が入るものではない。民主主義においては、多数者は、少数意見も尊重することが求められる。しかし、それはあくまでも、何らかの考えかたを持っている人たちの間における話である。

「寄らば大樹の陰」で、数の多いほうに紛れている人たちは、もともと意見を持っているワケではない。多数派になりたいから、多いほうについているだけなのだ。だから、意見を求められると「紛れられなく」なってしまう。それを防ぐために、少数の側を攻撃して、自分が多数の側にあることを、これ見よがしに示そうとする。多数派であることを利用し、数の力で、自分達の存在を正当化しようとするのだ。

オウム真理教で指名手配され、逃亡生活を送っていた平田容疑者が出頭し、久々にオウムが話題にのぼっている。リアルタイムの90年代から主張していることだが、オウム真理教が過激化した裏には、結果的に「社会からイジメられた」というコンプレックスが働いていたコトは間違いない。テロ集団としてのオウムの犯した罪は弁解の余地がないが、そこに至るプロセスでは、社会の側にも間違いなく責任の一端はある。

彼らは、当時のコトバで言えば、「マジメな根暗」である。そういえばすぐイメージが湧くように、一番イジりやすく、一番イジメられやすいタイプである。そして、イジメられると一番切れやすいタイプでもある。もともと、被害者意識とコンプレックスは強いワリに、自意識だけは過剰な連中である。こういう連中を、社会全体が良識をかざして批判すれば、彼らは過敏に反応して、自分達の居場所を社会からなくし、存在自体を抹殺しようとしている、と、思い込んでしまう。

多くの市民は、ただ生理的に気味が悪いから近くにいて欲しくない、というだけの動機だろうが、だいたい、クラスの中のイジメも、単に「キモいヤツだから」という理由だけで、一緒にいたくないと感じることから始まることが多い。イデオロギーも思想信条も何もないところで、ただ「多数派である」ことを証明するには、「明らかに多数派でない」者を「生贄」にするのが一番簡単だ。だから、一番イジりやすいタイプを攻撃目標にする。

したがって、「寄らば大樹の陰」を実践すべく、大樹たる多数派に身を寄せている「甘え・無責任」な人々は、それ自体が目的化してしまった「自分が多数派であること」を証明すべく、「イジメ」や「差別」に走るのだ。いわゆるイジメっ子ではなく、不特定多数がイジメの主体になる、「主語のないイジメ」が起こる理由である。日本は、こういう人たちがマジョリティーを構成する社会である。真の意味でのダイバーシティーの実現など、夢のまた夢である。

しかし、共存は不可能ではない。かつて日本社会には、「村八分」という習慣があった。これ自体、差別の一種であり、イジメそのものではあるが、逆にいえば、差別やイジメが大好きな人たちにも、取ることが可能な行動といえる。それなら、異質な人たちを、「善意の村八分」にできればいいではないか。基本的に、互いにコミットせず、相手が自己責任の範囲で行っていることについては、一切干渉しない。

その代わり、自分たちの生活圏の内部については、相手からも干渉させない。互いにリスクの大きい緊急事態のときのみ、ルールを作って最低限の接触を行う。これができれば、「甘え・無責任」な方々でも、異質な存在と共存が可能である。そう考えてみると、この関係は中世以前の日本社会における集落間の関係と似ている。原点帰りというか、生活の知恵は、歴史の中に埋もれているものだ。日本人の日常行動半径が小さくなり、「ムラ化」しているといわれるが、けっこう本能的に時流に対応しているのかもしれない。


(12/01/27)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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