受け継ぐもの





文化は、一朝一夕には生み出せない。文化といっても、博物館のコレクションのような形式的な部分については、ある意味、金にあかせてそれなりのプレゼンスを作るコトは可能だ。しかし、それはあくまでも部分的で表面的なものに過ぎない。パトロンになっている金持ちがいなくなってしまえば、それまでのこと。そういう個人的事情に左右されず、社会として継続的に維持されるようになって初めて、文化になったといえる。

このためには、生まれたときから「文化的環境」の中にある層が、一定数育っていることが必要になる。その前提としては、特定の個人レベルで文化的素養を持った金持ちが偶然いるのではなく、そういう人たちが一定数おり、なおかつその素養を次代に継がせる努力をしていることが求められる。ここまでやって初めて、独自の文化がうまれ、受け継がれてゆく。後天的なものでは、心までマスターできないからだ。

文化的な心を持った人たちが、社会的に少なからず存在して初めて、その社会は文化的になったといえる。単にコレクションを増やしたり、アーチストの後援をしたりというだけなら、バブル期の日本企業のメセナ活動ではないが、衣の下に鎧が見えるような、ある種の功利心やビジネスマインドがベースにあってもできる活動である。それが定着するには、ノブリス・オブリジェとして文化を育てる人たちがいなくてはならない。

そういう意味では、文化が生まれ、定着するまでには、長い年月が必要になる。昨今、中国がパクり大国として話題に上るが、それをいうなら70年代までの日本もパクり大国であった。パクりとは、経済発展の段階で、必ず体験する通過儀礼のようなものである。そもそもパクりといってもいろいろレベルがあり、誰でも同じようにマネできるワケではない。そして、パクりの中から技術を会得するコトも多い。

日本の音楽業界を例に、この問題を考えてみよう。1970年代においては、特にフォークなど、あまり音楽的素養のないソングライターが多かったので、外国曲をネタにしてパクった曲を作ったのだが、複雑なコード進行とかマネすることができず、結果として片鱗は感じるものの、一応別物になってしまった例も数多く見受けられた。一般人から見ると、ちょっと気付かないが、ミュージシャンから見れば「これはパクり」という曲も多い。

かつてぼくがコミックバンドでメドレーにしてネタ化したが、ビートルズのレット・イット・ビーをパクったフォークナンバーは非常に多い。ここで具体名を出すことは遠慮するが、ヒット曲にも多い。同じコード進行なので、同時に一緒に歌えたりする。言われればそうだと気がつくが、多分、自分が楽器を奏かず、カラオケで唄うだけのヒトなら、気付かずにいるレベルだろう。

しかし、80年代に入って、ソウルやフュージョンなど、複雑な和声やリズムを使う曲が増え、ソングライターやアレンジャー、ミュージシャンのレベルが高くなると、ホンモノに肉薄したサウンドも登場するようになる。その結果、モロなパクりが横行するようになった。このように、著作権関連の判例では有名な「サザエさん事件」ではないが、そっくりにパクるには、解析力、再現力など、それなりに技術が必要なのだ。

また、受け手の側のセンスアップも、パクりに対する影響が大きい。やはり1970年代頃の、初期の偽ブランド商品は、粗悪品にただマークだけついているだけだった。それでも、お客さんは喜んでいた。その後、ホンモノを作っている工場から、タグなしの製品の横流しが起こり、それに偽タグをつけた「偽ブランド商品」が登場した。こうなると、パクり商品とはいっても、質まで含めて本物と同様に作りこんだモノでなくてはならない。

完全にデッドコピーするには、それなりのちゃんとした技術が必要である。いわゆる「パクり上等」である。技術的キャッチアップは、努力次第でできる。リソースさえ投入すれば、短時間でキャッチアップすることも可能である。しかし、勉強して技術をマスターできるのはこのレベルまでだ。その先で求められる「オリジナリティーの発揮」は、本質的に構造が異なる。そこには、努力云々を超えたものがある。

日本の製造業が、軒並み限界を露呈しているのは、この壁を超えられないからである。努力と勉強でキャッチアップできる「技術」しか持っていないなら、それはいつか新興国にキャッチアップされてしまう。「この道は、いつか来た道」である。デッドコピーする技術しか持っていないメーカーは、中国のパクり技術が向上し、完璧なデッドコピーができるようになった時点で、あっさり追いつかれてしまう。

ここで差をつけられる要素があるとするなら、それは受け手の側のセンスの問題だろう。たとえば、世界で通用する高級車を、オリジナルな高級感をクリエイトして創り出そうとするなら、生まれてこの方、高級車と証されるクルマを乗り続けてきた層が、ある程度以上存在しなくてはならない。そのマーケットが一定以上の大きさで存在する場合、そこに向かってマーケットインで生産すれば、大きなアドバンテージになる。

もちろんカスタムメイドなら、そのクオリティーを味わえる顧客が、自ら仕様を決めてオーダーすればいい。しかし、それは「製品」ではない。あくまでも、ワンオフの特製品である。創る側にも、使う側にも、「高級とはこういうことだ」というコンセンサスがあることが、高級な製品を生み出す基盤となる。そして、それは文化である。一朝一夕に生み出せるものではない。

ヨーロッパは、階級社会としての長い伝統があるので、このような高級さに関するコンセンサスを共有している層が歴然としてある。これが、ヨーロッパ製品クォリティーを支えている。こういう視点から、バブル以降の日本社会の進化を見て行くと、実は大きなメリットがあるコトがわかる。この時期の日本社会の特徴は「階層化」といわれているが、文化という面ではこれは悪いことではない。それぞれの階層ごとにみてみよう。

少なくとも上流においては、世界に通用する、ハイレベルな文化を備えた層が育っている。たとえば首都圏では、先程の「生まれてこの方、自家用車は世界的高級車」という若者が、世代内の2割程度存在する。そしてそういう人たちは、自分なりの審美眼を持っているので、表面的なブランドや世評に囚われずに、世界に通用する文化を育てる基盤となる層として期待できる。

一方、三浦展氏の「下流社会」以来定着した呼び方となった「下流」も、文化という意味では、決して見捨てたものではない。下流層とは、今の日常に対し、自分にとってソレが一番居心地がいいと、自信を持っていえる層である。背伸びをせず、庶民の日常的な生活に文化としての価値を見出すことができる。このボリュームゾーンとしての購買力がなければ、アキバのオタク文化は成り立たず、クールジャパンも成り立たない。

こう考えてゆくと、バブル以降の「失われた10年」「失われた20年」は、決して無意味ではない。日本を、経済力だけが取柄の「パクり国家」から、独自の価値観を発信できる「文化国家」へと孵化させる、インキュベーションの期間だったのだ。すでに、マーケットは熟している。問題は、パクり技術的なプロダクトアウトを続けるのか、そういうターゲットを見据えたマーケットインに切り替えるのか、その判断だけなのだ。


(12/02/10)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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