酒文化の誕生





各種統計や、市場調査の結果によると、このところ20代若者の酒消費量が増加傾向にあるという。確かに、ひところほとんど見かけなかった「路上の嘔吐物」も、最近はけっこう目にすることが多い。今の30代を中心とする「団塊Jr.世代」と、20代以下の「新人類Jr.世代」とは、その意識や行動が大きく違うことは、マーケティング業界では10年ぐらい前から着目されていたが、酒文化もその例に漏れないということなのだろう。

しかし、酒の飲み方ということになると、こと「新人類Jr.世代」については、親世代の影響が大きいと考えられる。新人類世代が、飲酒マーケットに参入した80年代は、日本の酒文化が大きく変わった時代である。というより、「青春のあり方」が大きく変わった時代でもある。社会人になってからも、その資金力をバックに「青春」を楽しめるようになったのは、まさに80年代になってからである。

団塊世代までは、学生時代と社会人になってからとは、別の生きかたと考えられており、意識や価値観も社会人になることで大きく転換するのが普通とされていた。しかし、新人類世代からは、社会人になっても学生時代からの仲間と変わらずに付き合うし、場合によっては、仕事上のつき合いより、よほど親密な関係をキープすることも多くなった。そのネットワークを活用し、合コンを仕組むなどというのは、この時代から始まったことである。

余談になるが、筆者のような新人類のさきがけの世代にとっては、学生時代の70年代と、若手ビジネスマンの80年代と、青春のピークが二度あったという想い出がある。実際、iPodなどに入れた音楽も、70年代のハードロックと、80年代のニューウェーブと二つピークがあり、そのどちらもなつかしかったりする。もうちょっと下の世代になると、この二つが連続してしまうのだろうが、この「ツインピーク体験」は、さきがけ世代の特権だろう。

このような傾向を、リアルタイムで記したものとして、故渡辺和博氏の幻の名著「ホーケー文明のあけぼの」がある。団塊世代以前の社会人的な嗜好を「まるム」、新人類世代の青春的な嗜好を「まるホ」と切り分け、その二項対立で世の中の流れを面白おかしく切りまくる。新人類世代においては、世代間の断層が、世代の中を通っていた。いや、一人の人間の中にもあった。だからこそ、裏表どちらも見えて面白かったのだ。

その線でいけば、酒文化の変化は、銀座のホステスさんがつく店で飲むウイスキーと、友達と居酒屋で飲むチューハイ系ドリンク、ということになるだろうか。明治以降、戦前から脈々と作りあげられた日本の酒文化が、この時期大きく変わった。それ以降、平成の酒文化は、この時代に作られたといっても間違いない。そのような事例を、記憶の中から幾つか拾ってみよう。

まず、何といっても「チューハイブーム」がある。それまでは甲類焼酎というと、マッチョなガテン系労働者御用達の酒というイメージだったし、乙類焼酎も九州のローカルな酒と思われていた。70年代後半から、焼酎をベースに、イロイロなソフトドリンクで割って飲む飲み方が広まっていたが、ブームに火をつけたのは、1980年の博水社による「ハイサワー」の発売であろう。まさに、安くて口当たりのいいチューハイ系ドリンクは、若者のメインドリンクとなった。

その普及に貢献したのが、村さ来 天狗 つぼ八など、フランチャイズによる居酒屋チェーンの展開である。焼鳥屋やおでん屋、小料理屋といったそれまでの料飲店とは、メニューも経営形態も全く違う。サラリーマンをターゲットにした、養老の滝のような居酒屋とも一線を画する。それ以降の料飲店のあり方を決めたのは、これらの居酒屋チェーンである。ちなみに、80年代半ば銀座に村さ来が進出したときは、皆、新しい時代が始まったことを感じ取ったものである。

また、酒の味そのもののトレンドは変わり、今に続く流れを生み出したのも、この時代である。それまでのキリンラガーに変わり、アサヒスーパードライがトップブランドとなり、のどごしのいいビールをぐいぐい飲む飲みかたが主流になった。また日本酒も、それまでのコクを強調したナショナルブランドから、すっきりとした飲み心地の地酒や吟醸酒に注目が集まり、日本酒ブームを演出した。まさに、この時代に、価値観が転換したのだ。

「一気」みたいな習慣が生まれたのも、この時代である。しかし、バブルに向かっては、新しいオトナのアソび方も生まれた。カフェバー、クラブといった業態が生まれたのも、トロピカルカクテルのようなファッショナブルなドリンクが定着したのも、80年代である。ワインがポピュラーになったのは、酒税の改正もあるが、やはりこの時代である。バブルがなければ、日本人はヌーボーワインなど縁がなかっただろう。

文化とは、親から子へ、子から孫へ、受け継がれて初めて生まれるもの。大多数の団塊世代は、大家族のリテラシーしか持っていなかった。その世代の家庭の中で、受け継ぐべき文化を持っていたのは、都会・中産階級出身で、自分自身が、子供に与える文化を持っていたヒトだけである。そういう意味では、新人類ははじめて大衆レベルで、自らの生み出した酒文化を、子供世代に伝えたことになる。それはとりもなおさず、近代社会になって初めて、日本において酒文化が生まれたということを意味しているのだ。


(12/03/23)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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