団塊の貧困 その1





団塊の世代といえば、ベビーブームの時期に生まれて単に数が多いというだけではなく、20世紀後半に起こった、日本社会の一大地殻変動の主体であり、中心であるという意味で、近代日本を語る上で欠かせないキーワードとなっている。社会学的な分析を行うまでもなく、団塊世代以前と、団塊世代以降では、社会の構造にしろ、人々の意識にしろ、日本の世の中は別物になっている。

団塊世代は強力な破壊者であり、彼らが通ったあとにはぺんぺん草一つ生えていないとは、すでに60年代末〜70年代初期には、リアルタイムでいわれていたことである。実際、その数の力で、ブルドーザーのようにそれ以前の社会制度をことごとく粉砕した。だが、それは勢いで突進した「暴走」の創発的な結果であり、決して戦略的意図があったことではない。それだけに、彼らが破壊のあとで何かを創り出したわけではない。

ここで間違えてはいけないのは、前にも論じたことであるが、団塊世代には二つのタイプがあるということだ。いい団塊、悪い団塊というワケではないが、少数派だが、ある種のヴィジョンや理想を持っているタイプのクラスタと、多数派としての、強い求心力と上昇志向により、常に群れて日本社会のヴォリュームゾーンを構成してきたタイプのクラスタがある。もう一度、この両クラスタについておさらいしてみよう。

前者は、昭和20年代前半生まれでも、主として都市部出身者が中心となっている。ということは、戦中・戦後もその親は都市部で生活していたことになる。この時期は、経済・産業事情から、都市人口が極少だった。すなわちこの層の親は、戦前の給与所得者や専門職が多く、当時としてはハイブロウな中産階級が多いということになる。そんなこともあり、比率的には団塊世代の1〜2割というところであろう。

親の民度や学歴が高く、比較的生活も安定していたため、この層は、団塊世代の中では相対的に学歴が高いとともに、音楽・演劇・ファッションなど、戦後登場したクリエーティブな世界に入った人も多い。また、テレビや出版など、大衆文化メディアが花開いた時期とも重なるため、こういう「ギョーカイ」関係に進み、その嚆矢となった人材も多い。事実このクラスタからは、細野晴臣氏など、それぞれの世界でのビッグネームも多く輩出している。

団塊世代の大学進学率は、リアルタイムでは1割台であるにもかかわらず、長らく団塊世代の自画像が「大学紛争や学生運動」だったのは、この少数派である「都市型団塊世代」クラスタ出身者がマスコミ関係に多く、70年代から80年代初期における団塊世代のイメージが、「マスコミ関係に進んだ、都市型団塊世代」の自画像として描かれたことによる。これが是正されるのは、新人類世代がメディアの主体となる、90年代以降である。

それに対し、団塊世代の大部分を占める多数派は、疎開や引き上げから戦後の食糧難が続く中、まさに日本の人口の7割以上が農村部に戻っていた時期に、まだ大家族や共同体が残っていたそれらの地方で生まれた人々である。だからこそ、農村共同体的メンタリティーが刷り込まれているだけでなく、核家族のリテラシーを持たないまま核家族を作ってしまった。ニート・引きこもりなど、これが原因となっている問題も多いが、これは別項で何度も論じたので、ここでは触れない。

さて、この「地方型団塊世代」クラスタの特徴としては、三つのポイントを挙げることができる。まず第一のポイントは、社会の流動性が高まり、高度成長が始まった時代に育ったため、極めて上昇志向・中央志向が強い点である。戦後民主化が進むとともに、日本経済が発展し出したたため、伝統的な社会を脱して「成り上がる」チャンスが生まれた。そういう時代の風を正面から受けた世代だけに、「追いつき追い越せ」というメンタリティーが非常に強い。まさに、団塊世代が団塊たる求心力は、ここから生まれている。

その結果、成り上がる手段として、教育・学歴志向が顕著になった点が、第二のポイントである。とはいえ、当時はまだ中学卒、高等小学校卒が常識の時代だった。そんな中で、経済発展とともに高校の新設が進んだこともあり、「地方型団塊世代」の間では高校進学率が急速に上昇し、一気に過半数を超え6〜7割に届くようになった。まさに、全国レベルで高校卒が常識になったのは、団塊世代からなのだ。

そして第三のポイントが、高卒の学歴をバックに、「地方型団塊世代」に属する人々の多くが、ブルーカラー・ホワイトカラーを問わず、ナショナルブランドの大企業に就職し、都心部にあるオフィスや、四大工業地帯にある工場で働いた点である。これはそれまでの集団就職が、中卒で上京し、中小企業や個人商店に住み込みで働いたのとは大きく異なる。いわば、第二次集団就職世代ということができる。

問題は、「地方型団塊世代」の人たちが「第二次集団就職」を行うに当っては、文字通り裸一貫、何も持っていない状態で上京したところから始まったところにある。もともと地元で生まれ育った家庭も、農地改革で入手した土地以外、資産らしいものは何も持っていない。まさに高度成長期とは、消費マーケットという面から見れば、この「裸一貫の集団就職世代」が、家財を買い、マイホームを買い、クルマや海外旅行などちょっとした贅沢もできるようになるプロセスだったのだ。

結果、キャッシュフローはほとんどローンの返済と日々の消費に廻し、資産はマイホームだけ、老後の生活費は年金に期待という、今の団塊世代の多数派像を生み出したわけである。これは、もともと都市部に親譲りの家を持っていた「都市型団塊世代」の人たちが、同じ給料をもらっていても余剰を生み出し、親譲りの分とあわせ、それなりの金融資産を持っているのと際立った違いになっている。このような状況認識を前提に、次回は、「地方型団塊世代」の人たちが行ってきたことを、日本の歴史の中に位置づけ評価してみよう。


(12/05/18)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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