団塊の貧困 その2





さて、団塊世代に属する二つのクラスタについて、もう少し詳しく見てゆこう。「都市型団塊世代」は、実は新人類世代の正統的な祖先である。都市部の核家族家庭に生まれ育ち、情報にあふれた中で育った環境は、その時代でこそ先端的なマイノリティーであったが、まさにその後日本全体が都市化し、核家族化する中でマジョリティー化し、普遍的なものとなった。そこから生まれてきたのが新人類世代である以上、彼ら・彼女らは、都市型団塊世代の進化系である。

80年代に、新人類世代が独自の消費文化を築いたとき、それらの商品やサービス、コンテンツなどを提供していたクリエイターは、都市型団塊世代に属する人間や、同様の環境で昭和20年代後半に生まれた人たちであった。もちろん、育った時代背景の違いがある以上、たとえば都市型団塊世代はアメリカ文化に対して強い憧れがあり、アメリカンロックやヒッピーカルチャーへの傾倒も、ある意味その文脈で理解できるなど違いも大きい。

しかし、都会の核家族家庭で育ったことに起因する、自立的で自己責任的な生きかたは、間違いなく新人類世代と共通しており、団塊世代という文脈で語るほうが矛盾が多い。その一方で、団塊世代のほとんどを占める「地方型団塊世代」は、後継者を持たない日本社会の特異点であるものの、その絶対数の多さから安定的なクラスタであり続けた。したがって、ここから先は、団塊世代を団塊世代たらしめている「地方型団塊世代」についてのみ分析を行うコトとする。

「地方型団塊世代」の特徴は、自分たちの中に歴史的・世代的断層を抱えている点である。物心ついて、人格が形成されるまでに、育った環境から刷り込まれたものは、貧しい日本の農村共同体的メンタリティーである。その一方で、大人になってから、自分たちがもとめ、あるいは、周囲から求められたものは、高度成長からバブル経済へとつながる、先進工業国の国民としての、日本人の振舞である。この落差が極めて大きいのだ。

いわば、集団就職という通過儀礼を経て、二つの国、二つの世界を生きてきた世代なのだ。その落差を埋めるために発揮されたのが、芥川龍之介の「くもの糸」もかくやというような、あくなき上昇志向と求心力である。無からスタートし、手の届かない理想との間で、その隙間を一つ一つ埋めてゆくことが、潜在意識の中で、生きてゆくための、大きなモチベーションとなった。

「地方型団塊世代」の心の中には、常に貧しく何もなかった、終戦後の農村の風景が原点として刷り込まれている。すなわち、彼らの人生は、常にフリだしの「無」に戻る可能性とうらはらであり、ある種のトラウマを抱えていたことを意味する。あるときには、それは無から得た物を失うことへの恐れとなったが、あるときには、もともと無からやり直せばなんとかなるという開き直りともなった。

地方型団塊世代の中でも、一代にして成功し、財や名誉をなした人もそれなりにいる。こういう人にとっては、得たものをなくす恐れのほうが大きいだろう。しかし、過半数はそうではない。得たものといっても、せいぜいマイホームと年金を得る権利である。特にバブル崩壊以降、現実を直視することになった人々も多い。けっきょくこのクラスタでは、開き直った方が得という人たちの方が圧倒的なのだ。

これはまた、なによりもまず「結果の平等・権利の平等」を求める意識を生み出した。本来、権利の平等の前には、本来は責任の平等があるはずである。しかし、失うものがない者にとっては、責任など取りようがない。名誉でも資産でも何でもいいが、人間は失うものがあるからこそ、責任を果たすのである。こうなると、「オレのものはオレのもの、オマエのものもオレのもの」という状態になる。

また団塊世代には、昭和20年代に横行した、「何でも勝手やり放題」という「民主主義観」が刷り込まれている。かくして団塊世代は、あたかも権利ゴロのようになった。この世代には、市民運動に熱心な人も多くいるが、そのかなりのパーセンテージの人たちが、掲げている美辞麗句の陰で、ゴネ得により、バラ撒き利権をより多く確保することを狙っているというのは象徴的である。

失うものがない、ということがもたらしたモノには、この世代における凶悪犯罪発生率の高さもある。団塊世代は、人数が多いので、どの時代でも年代別で実数ベースの「犯罪発生数」が一番多くなるというのは、容易にうなずける。しかし、実数だけでなく、発生率自体も他の世代を引き離して高い。それも、殺人、傷害、強盗といった凶悪犯が多いのが特徴である。

確かに、今の10代における犯罪発生率は、そこそこの数字がある。しかし、そのほとんどは万引きとか自転車盗とかいった、「セコい」犯罪である。若者においては、殺人や強姦などの凶悪犯罪は、一貫して減少している。珍しくなったからこそ、これ見よがしに報道されるのだ。したがって、1960年代においては、10代の凶悪犯罪率が極めて高かった。しかし、今の凶悪犯罪発生のピークは60代である。

このように一旦刷り込まれた性癖は、そう簡単に変わるものではない。まさに、団塊世代は、日本でも希代の犯罪世代でもあるのだ。金持ち喧嘩せずではないが、豊かな社会に育った「失うもののある」世代は、こういうリスクは犯さない。貧しい日本の心を持ったまま、豊かな日本の社会を生きてきた人々、それが「地方型団塊世代」の正体である。次回はこれらの分析を前提に、地方型団塊世代が日本社会に与えた影響を評価してみよう。


(12/05/25)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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