団塊の貧困 その4





「地方型団塊世代」の民族大移動が起こった後には、何が残ったか。高度成長も終わり、バブルも崩壊し、産業社会的なスキームが全て過去のものとなった今だからこそ、客観的に振り返ることができる。そのポイントは、日本経済が、質のワリに安いという、人件費のコストパフォーマンスを活かし、「いいモノを安く」輸出すればいい時代が終わったところと、そして、社会インフラも含め、豊かさが全国レベルで共有されるようになったところにある。

日本国内で製造業が成り立っているのは、かつてのような大都市周辺の「四大工業地帯」ではなく、九州や東北といったローカル地域である。一旦は「ベルト地帯」に製造業を集中させたものの、けっきょくは、高度成長期が終わってから、新幹線や高速道路、港湾などを整備し、国内でも工業地帯の再配置を行うことになった。そういう意味では、社会インフラや設備投資においては、この50年ほどの間に、「大いなる二重手間」が発生していたことになる。

地方は相対的に豊かになり、都会へ出ることなく、地元に居続けた人たちが、その恩恵を得ることになった。昨今、若者に「雄飛する野心がない」といわれているが、都会に出ても成功の可能性は薄い一方、地元にコダわればそれなりに豊かで充実した生活が保障される現実を見れば、それも極めて合理的な判断といえる。20代後半で比べれば、都会に出た者は結婚すらできないのが過半数である一方、地方にとどまったものは、すでに子持ちで安定した生活を築いている。

確かに、全体最適を図ることができないほど、絶対的なリソースが不足している「開発途上国」だった日本には、「二重投資になっても、ひとまず経済成長を成し遂げる」ことが至上の課題であり、目先の成長戦略に賭けざるを得なかった事情も理解できる。しかし、そういう状況の中でも、全国的なバランスの取れた経済発展を将来像として描きながら、リソース配分を行うことは可能だったはずである。

だが、そういう視点を持たないまま、設備投資が行われた。その結果、かつて日本経済を支えたの工業地帯は無用の長物となり、ウォーターフロントなどと称して、居住空間と商業施設に再開発され、製造業とは縁もゆかりもなくなった。再開発地域に住宅が建設され、都心回帰が起こるとともに、校外のニュータウンはゴーストタウンになった。まさに、団塊世代の後にはぺんぺん草も生えないということが、世代論ではなく、実際の社会インフラでも実証されたのだ。

フロー中心の経済であれば、偉大なる無駄遣いは、景気浮揚効果が大きいことになる。高級官僚たちが、景気刺激策の名の元に「バラマキ行政」をやりたがる論拠がこれだ。しかし、ストックの充実という視点からすると、こんなに無駄な金の使いかたはない。短期的部分最適を目指しても、けっきょくは経済成長で埋め合わせができるというのが、当時の考えかたであった。しかし、右肩上がりが永遠に続くわけではない。それを典型的に示しているのが、右肩上がりを前提に設計した、社会保険制度の破綻である。

団塊世代が社会で活躍し始めた昭和40年代は、売り上げの時代、シェアの時代であった。高度成長に乗って、イケイケどんどん。市場規模が拡大するのなら、将来的にかかるであろう社会コストを考えない。その代表が、当時問題になった「公害」である。廃棄物、排出物の処理コストは、当然めぐりめぐってツケが廻ってくる。それならば、きちんと対応すべきというのは今の考えかたである。当時は、そこまで余裕がなかったのだ。

だから、今の中国のように、煤煙でも排水でも廃棄物でも、「垂れ流し」で知らん振りであった。このため、光化学スモッグのような大気汚染や、各種有害物質による公害病が多く発生した。歴史として振り返られる今となっては、短期的な部分最適で公害対策コストを支払わず、経済成長したのちに、後からそのコストを支払うのは決して間尺に合わず、コストをかけて投資しても、最初から環境対策を図っておいたほうが、全体としてのコストは極小になることは広く認識されている。

だからこそ、実際に環境投資が行われるようになった。原発の「負のコスト」をカウントしないのも、これと同じ発想である。反原発については、津波による福島第1原子力発電所の被災以降、「放射能恐い」というアレルギーや神経症のような病的な反対論が横行している。その分、賛成にしろ反対にしろ、マトモな議論が封じ込まれてしまっている。原子力技術自体は、適正に管理し、適正に運営してゆけば、それ自体がアンコントローラブルなモノではない。

問題は、そういう「適正なやり方」を行ってこなかった、東京電力を中心とする電力会社のやり方にある。原発の負のコストといえば、使用済み燃料の処理や、廃炉後の解体コストといった、事後コストを勘定に入れるか入れないかという議論が知られているが、実は最大の負のコストはそこではない。最大の問題は、合意形成をハナから行わず、原子力発電所のある地元だけでなく、原発からの送電線のある自治体にまで、驚くほどの金額の札束をバラ撒くことでのみ、自己の行動を正当化しようとしてきた体質にある。

これを、キチンとした合意形成の元に行えば、確かに原子力発電のコストは、事後処理を入れても競争力がある可能性がある。しかし、このバラ撒きのコストをきちんと上乗せカウントしたら、とても低コストとはいえない。この利権構造が明るみにでることを恐れたからこそ、原発のコストに関する論議自体を封じてしまった。そして60・70年代は、社会的に「長期コストの最適化」を考えない時代だったからこそ、それが罷り通ってしまった。

団塊世代の「民族大移動」も、その時代の所作であり、それにより引き起こされる社会的コストをカウントしていなかった。団塊世代が都会に出てくることにより、地方においては過疎化や経済力の低下、さらには産業の側が地方にやってくることで、本来期待できた社会インフラの充実などが絵に描いた餅になってしまった。その一方で、都市部においては、必要以上の人口集中と公害の発生、中期的には無意味になってしまうような社会インフラへの投資が必要となった。行ってこいの、ダブルパンチである。

まさに「貧すれば鈍する」、貧者の部分最適の典型である。けっきょく地方の再生は、それでも地元に残った人たちが、70年代以降に遅れてきた地方の社会インフラの整備と、それを前提に、グローバルな産業構造の変化に対応した、国内での産業再編を経て、ようやくその光明が見えてきた段階である。「ファスト風土が故郷」の二代目たる、強い地元志向を持つ「地方の新人類Jr.」世代によってはじめて現実のものとなった。

21世紀に入って、地方分権が強く叫ばれるようになったが、ことこの問題に関しては「失われた半世紀」である。まさに地方型団塊世代の民族大移動こそ、それまでの伝統的な日本社会を徹底的に破壊し、歴史上の汚点ともいえる傷跡を残した。家族制度や人格教育という面でも、過去の資産を受け継がず崩壊させる現況となった。このように、地方型団塊世代は、日本の社会や民族にとって、最大・最強の公害ということができる。公害の時代が生んだ、最凶の公害こそ、団塊世代なのだ。


(12/06/08)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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