魂はσの外側に宿る





20世紀後半の日本では、長らくボリュームゾーンたる団塊世代が、いろいろな意味でのリファレンスとなる傾向が強かった。この問題については、ここでも論じたばかりだが、それだけに団塊世代の特徴である「群れる」行動は、わが国においてはいろいろな局面で見受けられる行動であった。特に、世の中が右肩上がりの時期においては、ボリュームゾーンの中に紛れ、身を潜めることが、結果的にいろいろな役得に繋がった。

まさに、「寄らば大樹の陰」が実践できた時代である。平均値のど真ん中にいることが、一番おいしいポジション取りにつながった。しかし、それは「質より量」が重要であった、まだまだ貧しさが続く高度成長期ならではのこと。質が問われるようになると、そうも言っていられなくなる。安定成長期になると、多様化、個性化が問われるようになり、チャンスは真ん中にだけ集中しているのではなくなった。

21世紀の声を聞く頃から、「ロングテール」というコトバが流行りだした。そのココロは、ビジネスチャンスは、ターゲット数の多寡とは関係なく、どこにも等しく存在していること。ターゲットの多いところほどボリュームは大きいが、競争も激しく、また過当競争にから価格競争となり、高付加価値のビジネスは狙いにくいこと。逆に、ターゲットは少なくとも、競争がなく、高付加価値のビジネスが狙えるところのほうに、大きな可能性があることにある。

みんなボリュームゾーンの真ん中を狙いたがるが、そこに入ったら、激しい競争による消耗戦しかない。昨今の、食料品や日用雑貨のデフレ合戦に巻き込まれては、出るべき利益も出ない。その一方で、超ベタか、超マニアックな世界では、プライスリーダーのポジションを獲得することができ、自分のペースでマーケットをリードできる。正規分布で言うところの、「シグマの外側」を狙ってこそ、おいしいチャンスはあるのだ。

これは、ビジネスに限らない。かつてのように「寄らば大樹の陰」が成り立たなくなった分野では、すべて起こっている現象だ。たとえば、男女関係でもそうである。人生経験を積んだ中高年の方なら、体験的に理解いただけると思うが、けっこう美人で、けっこうスタイルもよく、というようなそこそこ高嶺の花みたいな女性が、実は一番婚期を逃しやすい。八方美人というコトバがあるように、誰からも受け入れられるということは、それだけユニークなアピールポイントが少ないことを意味する。

そういう「そこそこ美人」「そこそこいいコ」と比べたら、スゴいおデブとか、スゴいおバカとか、並外れて規格外な女性の方が、圧倒的に早く、かつ強力に求婚され、結婚も早い。「蓼食う虫も好き好き」とはよく言ったもので、世の中には想像以上にマニアは多い。マニアであることをカミングアウトすることが、恥ずかしかったりリスク含みだったりするから公表していないだけで、本心はけっこうマニアックという男性は多いのだ。

このコーナーの初期に、札幌にあった「ホルスタイン」という店の話題を書いたことがあるが、こういう「おデブキャバクラ」みたいな店は、やれば必ず大ヒットする。しかし流行れば流行るほど、店を維持するのが難しい。それは女のコが、すぐに常連さんと結婚して、店をヤメてしまうからである。そもそも、「美人」をそろえた普通の店では、こんな現象は起こらない。「デブ専」の引きは強いのだ。

ほどほど美人とか、ほどほどお嬢さんとか、女性からすると一番狙いたがるポジションだが、男性からすると余り魅力がない。必ずしも全ての男性が、美人好きではない。そもそも女性は、そこをはきちがえている。その一方で、多くの女性が、女性同士の競争から、そうありたいと思っているポジションでもある。このため熾烈なオンナの戦いから、極めて激戦区になり、「美人」は需要に対して供給過多になってしまうのだ。

恋人として付き合っているのを見せびらかす分には、イタリア製高級ブランドファッションを着たり、ドイツ製高級車に乗ったりして、ハクをつけたり、格好つけたりするのと同じように、「いい女」を侍らせたがる野郎はそこそこいる。自分がセコいヤツほど、そういう外在的なもので格好をつけようとする。まあ、こういう「見栄」があるから、ブランド物のビジネスが成り立つ。「美人」に人気があるのも、全く同じ文脈である。単に、背伸びして格好つけたいだけなのだ。

その一方で、真剣にそういう「美人」と付き合おうと思っている男は、数的には限られている。大体、美人は性格が悪いし、人一倍ワガママである。こんなヤツと一緒に暮しても、不幸が待っているだけである。まあ、性悪オンナマニアというのも、いるにはいるのだが。大多数の男性は、本来の意味での「気が置けない相手」、気を使わず、一緒にいると和める相手であることを女性に求めている。そういう意味では、本当は性格がいいが、派手な「美人」に生まれてしまった女性こそ不幸である。

最近話題の「就活」もそうだ。面接の極意などというマニュアル本が毎年出され、今年の面接トレンド(?)はこれだ、とばかりに、どうしたら面接ウケできるか、まことしやかに解説されている。就活の学生さんも、世の中のコトワリを知らない分、強迫観念から妙に真に受けて、こうやらなくてはいけないんだ、とばかりにその通り行動する。昔はよく面接をやったが、本当に来る学生来る学生、見事にパターン化されている。

かくして面接していると、その年のハヤリのスタイルでパターン化された、大量の学生さんの応対に苦慮することになる。面接官を何年もやっていると、十人も面接しないうちに、「今年のマニュアル本でのハヤりはこれだな」というのが、ピンときてわかってしまう。別に、前もって今年のマニュアルのお勧めが何かなど、調べる必要はない。ファッションから、言いかたから、すぐにわかってしまうのだ。

ここにおとし穴がある。採用面接の多くは、応募者に比べて、合格者が圧倒的に少ない。10人の中から2人を選ぶ、というようなスキームになっているのがほとんどである。ということは、10人中8人は落とされるのである。すなわち、平均値付近に固まっているボリュームゾーンの集団に入ってしまったら、面接では落ちてしまう、ということ結果になる。学生さんも、就職指導の先生も、この事実をすっかり忘れている。

こういう事情になっているので、あわれボリュームゾーンである「今年のトレンド君」は、それだけで負け組なのである。マニュアル通りは、サドンデス。これは覚えていた方がいい。しかし、何十人も面接しなくてはならない面接官からすると、これは気が楽である。応募者の方から、自ら「敗者席」に入ってくれるのだ。そして、その「敗者」は、極めてわかりやすいときている。

このように、6割のボリュームゾーンを、ハナから無視できるのである。こうとなると、あとの選考はとても簡単だ。残ったのは「スゴくいい方の2割」と「どうしようもない方の2割」しかない。この両者を区分けするのは簡単だ。数が多くなれば、アイツは変わっているが取りたい、と思わせるヤツもいないわけではないが、そういう例は少ない。かくして、10人中2人の割合で選出する面接は、けっこう気楽にできるのだ。

もっとも、競争率が1.1倍みたいな場合は、落とされるほうが余程運が悪いので、確かにボリュームゾーンにまぎれる作戦も有効である。そういう面接ならば、マニュアル本も間違ってはいない。しかし就職活動では、いまどきそんな面接などありえない。あったとしても、定員割れの大学のAO入試みたいなものだろう。そんなのは、ブラック企業か、潰れそうな企業だ。そこで選ばれてしまうほうが、あとあと余程リスキーかもしれない。

ボリュームゾーンに福がある時代は、右肩上がりの時代だけである。安定成長の時代では、ボリュームゾーンの中にいることは、いつまでたってもそこから抜け出せない無間地獄にハマっているようなものだ。狙うべきは、シグマの外側である。ワザとシグマの外側を狙うというのは、極めて難しい。しかし、個性があるのなら、それを隠して、あえて十人並みを装う必要などどこにもない。その個性が、シグマの外側になるようなターゲットを狙えばいい。この発想の転換ができた人にだけ、チャンスはやってくる。


(12/06/22)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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