時代の飽和





ワリと物持ちがいいということなのかもしれないが、押入れの奥を探すと、けっこう昔若い頃に購入した衣類が、そのままキープしてある。その中には、高校生の頃に清水の舞台で買ったリーバイスのジーンズが、伝世品でヴィンテージになっちゃったなんてのもある。まあ、結果的に体型が学生時代と余り変わらないということもあるが、ときどき、なにか面白いモノはないかと、セルフ古着屋モードで漁ったりする。

今シーズンも、バブル初期に購入した、当時ハヤりの国産デザイナーズブランドのジャケットを見つけ、けっこう気に入って愛用していた。これが、なかなか評判よくて、いろんなところでウケていた。まあ、最近のカジュアルファッションといえば、ファストファッションに代表されるローコスト化で、そういう時代の手を掛けた作りはトンとご無沙汰で新鮮に見えるということもあるが、なんせ80年代末、25年近く前の品物である。

では、その80年代から25年さかのぼってみるとどうなるかというと、これが1950年代である。まだ日本に、ファッションという概念がなかった時代だ。地方の人々や、都会でも中年以上の人は、まだまだ和装で過ごすヒトも多かった。洋装にしても、服を買いに行くという発想ではなく、洋服店、洋裁店でオーダーメイドで作ってもらったり、布と型紙を買ってきて、自分で作ったりするものだった。当然、高度成長の成果を享受できるようになった昭和40年代になると、1950年代の衣装など「論外」であった。

少なくとも、ファッションにおいては、オリンピックを挟む1960年代に不連続点があり、それ以前・それ以降はある程度連続性が見出せるが、文化としてのファッションは断絶している。しかし日本の場合、この不連続性はファッションだけでなく、カルチャー関係全般に見出せる傾向である。たとえば邦楽などは、その典型的な例である。この場合不連続点は60年代末期になるが、それ以降の邦楽は、いろいろなブームがあったものの、J-POPへの系譜図が描ける。しかし、それ以前の曲は十把一絡げで「ナツメロ」である。

先頃尾崎紀世彦氏が亡くなったが、テレビのワイドショーでは、一斉に尾崎氏の代表曲である「また会う日まで」をBGMとしてオンエアした。昨年、元キャンディーズの田中好子さんが亡くなったときには、一連のキャンディーズのヒット曲がオンエアされた。これらは皆、70年代初頭の曲である。確かに昔の曲という感じはするが、オンエアされることに違和感はない。しかし、昭和30年代の歌謡曲がオンエアされると、強烈な「レトロ演出」になってしまう。

これは、その不連続点から50年近くを経過したから起こった現象ではない。ぼくらは、ちょうど昭和40年代にティーンズの時期を過ごしたので、鮮烈に覚えているが、変化の只中にリアルタイムでいたとしても、不連続感は明確に意識されていた。オリンピックを迎えるに当っての建設ブームが街を作り変える前の東京は、生活にしろ文化にしろ、明らかに戦前のソレと連続性があった。先ほどの例でいえば、昭和40年代になると、日常的に和装で過ごすのは、お年寄りだけになったし、ファッションは「今年の流行りを買いに行く」ものになったのだ。

この「和風」と「洋風」の受容性という構造自体も(この対比が大時代的なのだが)、変化を象徴しているものである。たとえば、和食と洋食に対する価値観である。古い世代においては、和食が日常的であり、洋食が特別な価値を持っている。しかし、新人類以降の世代にとっては、洋食が日常的であり、和食の方が特別な日に食べるメニューとなっている。和と洋で、ハレとケの逆転が見られるのは、いろいろな分野に共通している。特別な感がするからこそ、和服自体は若い女性にも人気があるのだ。

そういう意味では、政治やイデオロギー的な人たちの主張とはことなり、日本人の生活意識というレベルにおいては、戦前〜昭和30年代までと、昭和40年代以降とが、大きなくくりになっている。オリンピックまでは、戦前と一続きいうべきなのだ。ある意味、それは別段驚くことではない。1945年8月15日を挟んで、日本人が入れ替わってしまったわけではない。そこに息づいていたのは、同じ人格なのだ。生活者というレベルでは、連続していて当たり前である。

映画「三丁目の夕日」シリーズが、レトロブームに乗ってヒットしたが、この映画が描いた東京タワーからオリンピックまでの間に、この生活意識の活断層がある。それは、世代的には、団塊世代と新人類世代の間にこそ最も大きな大きな断層があり、それ以前とそれ以降は、程度問題というか、連続性をもった変化が見られるという、コーホート分析の結果とも一致する。団塊世代までは、戦前的メンタリティーが刷り込まれているというのは、極めて納得性が高い。

もはや言い尽くされた感もあるが、テレビの登場がこの時期のエポックであり、物心ついてからテレビに出会った世代と、生まれたときからテレビがあった世代とで、価値観が大きく異なるというのも、コレゆえである。テレビは偶然指標にはなっているが、それが原因ではない。また宮台真司氏や三浦展氏をはじめ、この問題に関する論客が、昭和30年代生まれに集中しているというのも、その変化を目の当たりにし、身をもって体験してきたことが影響しているだろう。

右肩上がりの幻想、変化への期待は、貧しい時代の刷り込みのある、団塊世代的なメンタリティーの特徴である。もはや、その世代は、ジャーナリズムやアカデミズムのように定年のない世界を除き、そういう考えかたも、そういう考えかたを良しとする人々も、社会的影響力を失っている。東京オリンピック以来、50年かかった日本社会の変化が、ここに完結する。古い時代を引きずる世代は、もはや社会からリタイヤし、古い日本は、このまま歴史の中に埋もれてゆくのだ。まあ、線香でもあげてやろうか。


(12/07/27)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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