風林火山





旧軍では、将校は基本的に秀才型の役人タイプが多かった。陸軍大学校の卒業時の席次が、あとあとまで影響したり、実力より年功制を重視する人材登用制度は、平時はさておき、有事の軍隊組織にふさわしいものではない。組織論的に見れば、実は軍隊ではなく、官庁なのである。だから、組織としては何も意思決定できず、全くダメでふがいない。しかし、兵隊には生真面目なタイプが多く、その分強かったといわれている。

それは、兵隊さんの多数を生み出した階層の、階級的特性に基づいている。彼らは、小作、貧農出身だった。貧しかったからこそ、勤勉だった。中にはずる賢いヤツもいたかもしれないが、その多くは真面目にこつこつやるしかなかった。そう振舞わなくては、今日の喰いっぷちにも事欠く状況だったからだ。だから、戦後状況が一変すると、その勤勉さは一気に失われた。その勤勉さを奪ったのは、農地改革である。

もちろん、豊かになった今でも、真剣に農業経営に取り組み、常に新しいことにチャレンジし、改革をすすめている、勤勉な人たちはいる。しかし、それは少数派である。今の「農家」の大部分は、農家であることにより得られるバラマキ行政のメリットを手放すまいとする、既得権を守ることしか考えていないヒトたちばかりである。かつての勤勉な人々は、農地改革以降、自助努力より「寄らば大樹の陰」を求める人々に変わった。

この構図がよくわかるのは、真剣に農業に取り組んでいる人たちほど、TPPに賛成しているという事実だ。TPPをチャンスに、世界市場に進出しようと狙っている農業経営者も、やる気があり、実績を残している人を中心に目だっている。しかし、そういう人は少数である。そのチャンスを潰そうと躍起になっているのが、既得権のためだけに「農家」を詐称している人たちだ。そして、頭数はこっちの方が圧倒的に多い。

実は、農業は先進国型産業である。農産物は食という人間の生理・感覚的な嗜好と結びついているだけに、工業製品に比べると、高付加価値化が容易である。おいしければ、費用対効果を考えず金を出すからだ。工業製品は、基本的には先行者利得が得られる期間が短く、商品ライフサイクル上、すぐに価格競争のフェーズに入ってしまう。従って、商品ライフサイクルを通し、中期的に安定した利益を獲得するには、コスト管理が圧倒的に重要になる。

物理的に製品を製造する「工場」が、中進国の産業として相性がいいのは、このコスト競争上の優位性である。そこそこ高い技術と生産力を持つワリに、人件費や生産投資が圧倒的に割安な国が「世界の工場」となることは、20世紀後半の日本の高度成長が何よりも如実に示している。モノ作り、それも大量生産に基づく工場制の生産は、高付加価値ビジネスとはなりにくいのだ。ここを、勘違いしている人が多い。

規制や保護は、タテマエとしては、生産者の生活を守り、消費者の安心安全を守ることになっている。少なくとも、生活者にとっては、そんな化けの皮はとっくに剥がれてしまい、全く意味のないものとなっている。自由な選択を奪うことは、より質が悪いものを高く買わせられるだけでなく、自分の財布をはたいて、より付加価値の高い商品を高くても買う自由さえ奪っている。すなわち、生活者の選択の自由を奪うだけでなく、生産者のビジネスチャンスを奪ってしまうのだ。

駅前商店街が衰退することを、まるで悪のごとく言う人もいる。しかしその発想も同様に、生活者の視点を無視したものである。衰退する商店は、お客さんにとって魅力がない商品やサービスに固執しつつ、既得権に浸った発想しか出来ないから、客を呼べないだけである。駐車場のあるなしではなく、お客さまにウケるための企業努力、マーケット・インなビジネスをするための自助努力をしないから、人が集まらないのだ。

プロダクト・アウトな発想は、規制や許認可利権と極めて相性がいい。その一方でマーケット・インな発想は、競争原理と極めて相性がいい。そして、日本は未だにプロダクト・アウトが罷り通る社会だ。行政に責任転嫁して、規制強化を求めるというだけで、自分達が経営者として本来すべき努力から逃げていることは明らかである。まさに、動かざること山の如し。群れて山になれば、どんな外圧にも屈せず、利権を守れる、という発想だ。

そもそも、商店を仕舞た屋にし、シャッター商店街を生み出してしまうような商店主は、今の時代において流通の何たるかがわかっていない。飢えている者達に、上から目線でモノを供給するのが流通ではない。飢えた社会、生産力の低い社会に慣らされてしまうと、どんなものでも並べてさえあれば商売になると考えがちである。シャッター商店街の発想は、まさにこの共産主義時代のソ連の流通と同じである。

規制と利権が大好きな官僚たちの発想は、40年体制と呼ばれる、ソ連の計画経済に強く影響を受けた、戦時下の「革新官僚」達の考えかたの直系の子孫だ。こういう共産主義計画経済的な「超・上から目線」こそ、利権とバラマキの大好きな人たちの特徴だ。だが、そういうスキームが成り立たないのは、ソ連そのものの崩壊が、なによりも如実に示しているところだ。

今から考えると、日本社会にとっては不幸であったが、農地改革など、日本の「民主化」を押し付けたニューディーラーたちの野望は、志を同じくする「革新官僚」たちと手を結ぶことで、見事に成功した。さらに、共産主義的発想だけでなく、「上から目線的計画経済」や、その裏返しとしての「規制と利権バラマキの官僚社会」という、ソ連など共産主義体制の負の特徴といえるところまで、瓜二つのスキームを生み出した。

こういう「赤」い思想が、20世紀後半の日本のあり方を規定してきたのだ。だが、こんな時代遅れの体制が残っているのは、もはや世界でも日本だけだ。もう21世紀ではないか。「赤」は恥なのだ。「押し付けられた共産主義」に決別しよう。粘っていれば、ご利益にありつける時代ではない。学ぶべきは「疾きこと風の如く、侵略すること火の如く」であって、「徐かなること林の如し、動かざること山の如し」ではないのだ。


(12/08/17)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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